吼子尾(くずお)山から榎峠を巡る
兵庫 丹波


東芦田から吼子尾山


 やまあそ島田さんが分水嶺を歩くという。それならおともします、ということで道の駅青垣で落ち合
うことに。道の駅には登山口偵察を終えた島田さんとやまごさんが何やら話している。準備をし、三
十三間山の下見にいくというやまごさんと別れ、島田車で高座(たかくら)神社へ向かう。

 高座神社は延喜式の由緒ある神社だが、無住で何かあるときには近くに住む親戚の方が出向か
れるらしい。小学生の頃に遠足に来たことがあるが、こんなところやったかな?記憶は遙か遠くに。
最初に目にとまったのが、東芦田出身の俳人細見綾子さんの句碑。

「でで虫が 桑で吹かるる秋の風」 

また、同神社は蟻の宮とも呼ばれ、その伝説の碑もある。石段を登ると立派な社殿が建っている。
左の狛犬の左足が猿のようなものを踏んでいる。島田さんが「これおもしろい。」と喜んでいる。馬
鳴神社もあり、昔は養蚕が盛んだったようである。その裏手に島田さんが見つけたという細い階段
がある。その入り口に何やら石柱が。上にある鳥居のいわれのようだ。少し登ると、鳥居とその上
に祠が建っている。山の神を祀ったものかな?
俳人細見綾子さんの句碑 狭い道には大きすぎる鳥居
 「地図を車に忘れてきた!たぬきさん持ってる?」
 「持ってまっせー。」
私の地図だけが頼り。落とさんようにせんと。

 祠の裏手から尾根を歩く。少し歩くと小さな鞍部に出る。右に立派なテニスコートが見える。もくせ
いの付属施設かな。
 電柵と鹿除けネットをくぐり、再び少し倒木のある尾根を歩いていく。島田さんの口からはいろいろ
おもしろい話が出てくる出てくる。
 尾根を登りきると植林が伐採され吼子尾山が正面に姿を現した。例の展望台も見える。ここから

尾根から吼子尾山(左ピーク) 山頂までの快適な道
 尾根は北に向きを変える。ちょっと歩くと何となく見覚えのある道が右に下りている。朽ちかけた矢
印がその方向を指している。
「ここ下りたことある。胎蔵寺に下りる道や。」
ここからはよく踏まれた道が続く。
「MTBで走れるやん。ええ道やー。」と叫ぶ島田さん。
 しばらく行くと左に田井縄に下りる道もあり、文字は判別できないが木製の看板が落ちている。
 吼子尾山直下には大きな岩がゴロゴロしている。これを越えると平坦な曲輪跡が数段。堀切跡もあ
る。
山頂から白い粟鹿峰 展望台はここまでしか登れません 危険です
 
南正面に大きな五台山(右) 
 高座神社から一時間あまり。しゃべりながら歩くいているといつの間にか吼子尾山(519.3m、
三等三角点点名沼村)に着く。氷上文化協会発行の「丹波志」に寄ると城ケ嶽とある。地元では城
の丸と呼ばれ、南の展望がすばらしい。北はわずかな切り開きから白い粟鹿峰が大きい。雪を運ん
できそうな冷たい風も山頂は嘘のよう。しばらく南の展望を楽しむ。正面には大きな五台山、氷上盆
地の向こうは少し霞んでいるが、特徴的な猿藪、高山、その右に西光寺山の三角。目をしたにやれ
ば川かと見まごう工事の進む豊岡道。それに沿ってゆったり流れる加古川。それにしても暖かい。
 島田さんが展望台に登ろうとしたが、木が朽ちかけ危険きわまりない。さすがの島田さんもすぐに
登るのをやめる。
 地元の元旦登山の際の焚き火跡とMTB○柿さんのプレートがまだ新しい。暖かい山頂でゆっくり
していたいが、これからが今日のメイン、先を急ごう。
こんな案内板が 静かに歩いているように見えますが・・・

 ここからは未踏の山域。島田さんは昨年4月に穴の浦峠から蓮根峠を経て吼子尾山へ歩いてい
るので、そのルートを分水界尾根まで逆にたどることになる。
 赤布が要所にひらひらと行く手を指し示す。「あと○○○m」と書かれた標識もぶら下がっている。
尾根の途中に東芦田側へ下りる道があり、前回島田さんはそちらへ下りたらしい。途中にお堂があ
り、昔はその辺りに高座神社があったのではないかという。氷上郡志によると、昔は高座谷にあっ
たとある。地形図の波線も広い谷へ下りているのでたぶんそこが高座谷なんだろう。
 植林の中を歩いているのに風は強く、頬を容赦なく叩く。427ピーク、418ピークも島田さんの的
確な地図読みで難なくクリア。
 吼子尾山から50分で中央分水界尾根ピークに出る。赤布が2本、木の幹に吼子尾山さんへの案
内が油性ペンで書いてある。東にいけば蓮根峠から穴の浦峠、そしてその先はクロイシ山、五台山
へと続いている。西(右)へたどると榎峠から遠阪峠への分水界尾根。
 ここで昼食。
「あれ、おにぎり忘れた!」家から持ってきたおにぎりを車の中に忘れている。(*_*)
小さなカップ麺とチーズ、ココアと甘納豆の昼食。
 伝言板を見るとやまごさんは吹雪のため引っ返したらしい。
「こっちへ来ればよかったのにね。」と話したあと、島田さんがCQを出すと、福知山モービルのやま
ごさんからコールが・・。
 「さて、おなかもいっぱいになったことだしそろそろ行きますか。」
○柿さんの布と イノシシの寝床(421ピーク)
 ここから榎峠までは島田さんも初めて歩くところ、地形図を見ながら方向を間違わないように歩く。
ピークを下ると、福知山市樽水と奥塩久を結ぶ峠に出る。奥塩久側は植林で少し広い谷を下るよう
だ。樽水側は薄い踏み跡があるのでそれが峠道だろう。島田さんによると、この道は蓮根峠からの
林道と合流するようだ。
 峠から小さなピークを二つほど越え、421ピークを下ると塩久峠だ。地形図には塩久峠の手前に
鉄塔がある。しかし、今はなくなっているらしい。421ピークを下りながら鉄塔跡らしきところを捜す
がそのような場所がない。と思っていると、植林が下に向かって細くまっすぐに切り開かれたところ
があった。
「わかった、ここや。ここが鉄塔にあった場所や。」 「??」
「この切り開きは、電線が通ってたんや。」 「なるほどー。」
島田さんの分析に感心し、しばらく切り開きを眺めていた。
 
塩久峠への激下り 広い塩久峠
 塩久峠へは植林の中を下りる。あまりの峠の大きさに感嘆の声をあげる島田さん。急な下りを慎
重に下りる。峠は軽トラでも走れそうなくらいだ。お地蔵さんは残念ながら見つからない。奥塩久か
ら樽水をつないでいる。
 さて、登り返しなければならないが、下った以上にきつそうだ。山腹に良さそうな道があるのでそ
れを使い、途中から分水界尾根に戻る。
 ここからほとんど西に向かい次のピークで北に直角に曲がるのでピークを巻いていくことにする。
やはりこの辺も島田さんは無駄がない。私なら忠実に尾根を歩いているだろうな。
 
中佐治から福知山市談へのかや峠 ようやく榎峠に(標識の向こうは京都府福知山市)
 少し行き過ぎたので戻り、下るとそこには堀切のような峠道が・・。福知山市談と中佐治を結ぶ峠
のようだ。倒木がちょうど橋のように横たわっているので早速島田さんが渡っている。(^o^)
 この峠は、かや峠というそうだ。昭和2年発行の氷上郡志の地図には「柏峠」という峠が載ってい
るが、道は現在の榎峠である。榎峠は、このときすでに改修され、車が通れるようになっていたよう
だ。車のない頃は、このかや峠が福知山へ抜ける道であったらしい。「かや」は「栢」ではないかと推
測するのだが・・・。

 次のピーク(点名榎峠 344m 三等三角点)を越えれば榎峠だ。植林の中の静かな三角点ピー
ク。訪れる人は年に何人ほどだろうか。昨年秋に○柿さんがこの山域を訪れているがそれ以来かも
しれない。
 
旧榎峠 里に出ると正面に大箕山(おおみやま)
 急な斜面を下れば榎峠。青垣町から福知山市法用に抜ける国道429号線だ。国道というものの
車がすれ違えないほど狭い。新しい車道は山腹をくねくねと曲がりながら中佐治に下りている。旧
道が地形図にあるのでそれを歩く。島田さんがこの辺りやと言ったすぐ近くに舗装路からのとりつ
きに赤布が揺れている。はじめは植林の中、そのうちだんだになったの田の跡に沿った道となる。
夏なら草が茂って歩けないだろう。廃棄された軽自動車が見えると林道に出る。この林道を奥に行
くと談に出る峠に至るようだ。
 あとはのんびり田んぼのそばを歩く。正面に大箕山が大きい。豊岡自動車道の工事現場の横を
歩き、中佐治公民館前で父たぬきの車にひろってもらう。
 
 今回は、地図読みなど島田さんに教わることが多々あった。特に尾根がいくつにも分かれたり方
向を変えたりしているときにはこまめに止まって位置確認が必要だ。
 島田さんおおきにでした。次回の分水界歩きも楽しみにしてます。(^^)/

行った日 04 2/7(土)
行った人 やまあそ島田さん たぬき
コースタイム 高座神社9:55〜吼子尾山11:10ー11:20〜
分水界尾根12:10ー12:40〜塩久峠13:30〜
峠14:00〜点名榎峠三角点14:20〜榎峠14:30
〜中佐治公民館15:00
2.5万図 黒井 福知山西部