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大江町橋谷からの天ヶ峰 |
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三岳山へ行ったときに、天ヶ峰のことが話題になった。やまごさんやもっさんから情報をいただき
小原田から登山口があることがわかった。下山をどうするか?山頂から南への尾根を下れば周回
できそうだ。しかし、前日にその周辺のことを調べていると、山頂から東へ延びる尾根の途中に「
大亀石」という大きな岩があることがわかった。
当日、やまあそさんと落ち合い、ルートを相談する。車が二台あるので、橋谷に一台を置き、もう
一台で小原田へ行って、そこから登ることにする。
穴の裏峠を越え、福知山市にでる。9号線から175号線を走り、大江町河守(こうもり)で左折。
この道は大江山へいくときに通る道だ。しばらく走ると、「橋谷」という看板があり、左に曲がって橋
谷へ向かう。府道63号線、天座へ抜ける道だが、昨年の台風で被害を受け、復旧作業中。通り
抜けることはできない。
道は狭くなり、対向できないほどの道幅となる。次第に高度を上げ、上の方に民家が見える。
山間の村は静まりかえっている。
「この辺りで村の人に尋ねてみよか。」
無線があると、連絡が容易である。車を路肩に停め、村の人はいないかと探すと、すぐ近くにおら
れ、やまあそさんが走っていって尋ねる。
大亀石は確かにあり、峠道もあるそうだ。天ヶ峰からの道は不明で荒れているかもしれないと言
われる。笑顔がやさしいおじさんだった。
やまあそさんの車を先ほど停めたところに置かせてもらい、小原田に向かう。
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夫婦滝 |
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左の道を登る |
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来た道をもどり、175号線公庄から西へ入る。ちょうど河西地区の運動会が始まるところだっ
た。
こちらも狭い道。台風の爪痕が残っている。大江町は大きな被害を受けたと聞いたが、すべて
復旧するのはもうしばらくかかるようだ。
集落にはいると、夫婦滝と呼ばれる滝の近くから登山口があると聞いていたので滝をさがす。
道沿いに滝はすぐ見つかり、祠の前の少し広くなったところに車を停めさせてもらう。準備をして
いるとすぐ上のお家からおじいさんが下りてこられた。やまごさんが話しを聞いた方だろうか?
父たぬきが話しを聞いている。すぐ近くに登山口があり、その道は重機で付けた道で、尾根ま
ではこの道を登ればいいが、その先は道がどうなっているかわからないそうだ。
準備をしてまず滝を見学する。二段に分かれた滝で、上段は流れが三条に分かれ、下段は二
条になっている。なんでも、三角関係からうまく二つになったとか、やまあそさんが楽しそうに話
している。滝の前には新しい灯籠が立っている。以前のものは、昨年の台風で流されたという。
向かって右に三体の不動尊、そしてその少し上に役行者像が祀ってある。
靴を履いていると、銀杏が落ちている。見上げると、たくさんの実がぶら下がっている。そろそ
ろ出発しよか。
登山口は滝のすぐ近くで、古い木の看板がある。教えられたとおり、ここを登っていく。歩き始
めてすぐに、左側は植林の倒木。鉄板で道が補強してある。道はドロドロ、アランドロン、歩きに
くいことこの上ない。周囲は棚田の跡で、植林されている。
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よく歩かれた道 |
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「じてんしゃ〜」と叫ぶやまあそさん |
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谷を高巻きするようになると、道は折れ曲がり尾根の方へ向いている。ここで谷へ進む人もあ
るようだが、素直に道を行く。少し歩くと、重機でならした道でなく、よく掘れた道となる。根来坂
からの道のようだ。昔の参道の跡だろうか。
しばらく歩くと、尾根に乗る。このあたりは下峠と呼ばれるところで、尾根から西へ下る道もあ
る。ここからは尾根を歩く。よく歩かれた道で、やまあそさんは「じてんしゃ〜」と叫んでいる。小
枝が落ちているところなどは少し整備すれば100%乗車可。
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上峠付近 |
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三岳山をズームで |
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尾根を歩き、あまり高度をあげず、山腹を巻いて400mピークの西に出る。このあたりは上峠と
言われるところで、小原田からの道が400mピークの南へ続いている。
上峠からは少しだけ尾根を歩き、道は次のCa500ピークを巻いて西側を歩く。笹の中の細い道
だが、踏み跡ははっきりしている。この道は小原田の人たちによって作られた道だそうで、少し傾
斜のきついところは足が滑りやすい。
西に先日登った三岳山が顔を出している。のんびりゆったりとした山やね。山頂の切り開きもよ
くわかる。
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遥かに兵庫丹波の五台山を望む |
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木の間から南の方も見える。霞んでいるが、五台山や吼子尾山が確認できる。何となくうれしい
気分。姫髪山のもっこりした山容が目を引く。景色が見えたのはここくらいで、今回は最後まで展
望には恵まれなかった。
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コウヤボウキ |
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天ヶ峰を望む |
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「コウヤボウキがあるで。」とやまあそさん。足下に目をやると、淡いピンクの花を付けている。今年
初めて出会った。なんでこんなにきれいにカールしてるのかな?ほんまに自然の造形物はすばらし
い。
前方になだらかな天ヶ峰が見えてきた。こちらの尾根からだと平坦な山頂だ。山頂から南へ延びる
尾根も雑木でよさそう。本来はあそこを歩く予定だったが・・・。
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笹のトラバース道を歩く |
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大きな倒木を越える |
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565ピークも西に巻き、ずっと笹の道を歩く。565ピークの北西のおへそのように出た小さな支
尾根を過ぎると、笹も深くなり、大きな倒木が道をふさいでいる。上にも下にも歩けるようなところ
がない。やまあそさんが跨いだりくぐったりしたあとをついていく。
なんとか倒木をクリアし、雑木の谷を左に見ながら少し歩くと、尾根に出る。
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尾根を歩く |
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背丈ほどの笹の道 |
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ここからは山頂まで尾根を歩くことになる。標識が木に打ち付けてある。古くて朽ちかけているが、
「橋谷へ」という文字が判読できる。矢印の方向に下りると橋谷の集落。近在の村々から集まり、
天ヶ峰の頂上で相撲をとっていたと言うから、橋谷の人々はここからやって来たのかもしれない。
しばらく植林のなだらかな尾根を行く。少し傾斜が出てきた頃から背丈ほどの笹が覆い、踏み跡が
なんとか辿れるほどになる。
笹をかき分け歩きにくい道だが、周囲は雑木でいい雰囲気。どこかで鳥がさえずっている。
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大きな桜の木 |
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太い桜の木が枝を広げている。文字が全くわからないかまぼこ板ほどの看板が打ち付けてある。橋谷
への標識と同じ頃に付けられたものだろう。たぶん「さくら」と書いてあったのではないだろうか。
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あごなし地蔵 |
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お地蔵さんの背中 |
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山頂に近くなったのか植林になり、歩きやすくなる。
「あー。」 やまあそさんが声をあげる。視線の行方を追うと、石仏が杉の根元でこちらを向いて迎え
てくれる。木の幹に「あごなし地蔵」と書いた木が打ち付けてある。やまあそさんによると、あごなし
地蔵は歯痛のお地蔵さんだそうだ。隠岐の島がルーツだとか。なんでもよく知ってるね。
きれいなお顔だ。後ろに回ると、背中には袈裟も掘られ、安政四巳・・とある。幕末から今日までこ
こでじっと座り、お参りする人々を見ていたんだろう。今は訪れる人もなく、寂しいだろうね。
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山頂直下の祠 |
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天ヶ峰山頂 |
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お地蔵様と別れ、植林の中を少し歩くと、山頂から南へ続く尾根にでる。少し南へ歩いて見る。踏
み跡らしきものがあるので、南の尾根も歩けそうである。
来た道をもどり、山頂へ向かう。山頂直下に小さな祠が見える。滝のそばで出会ったおじいさんが
車のドア二枚分ほどの祠と言っていたが、なるほどその通りの大きさだ。中を覗くと小さな神殿が三
つ。どれも壊れ懸けている。中央には「丸子親王」と書いてある。「丸子親王って?」
祠の前は少し広くなっているので、ここで相撲をとったのだろうか?やまあそさんが祠の後ろに廻
り参詣札を見つける。いちばん新しいのが昭和53年。もう17年もお参りされていないのだろうか。
丸子親王は、ちびまるこちゃんかも、などと言いながら山頂へ出る。植林の中にひっそり三角点が
埋まっている。深浦からの林道が地形図通り山頂まであがってきているが、木が茂りとても車は通
れそうにない。
ちょうどお昼時、お腹も空いたのでお昼にすることに。三角点近くは植林に囲まれ暗いので少し離
れたところで荷物を広げる。
やまあそさんは鍋焼きうどんを用意している。ちょうど煮えた頃、生卵を割り入れ、おいしいそうな
匂いが漂ってくる。我々はラーメンができる間、おにぎりを食べる。
「うわー!」やまあそさんの声。振り返ると、鍋焼きうどんがひっくり返り、おうどんや具は地面に・・。
「ちびまるこなんて言ってたから、丸子親王のたたりかも?」
“覆うどん鍋に返らず”
お鍋がひっくり返り大騒ぎしていると、OAPさんの声が無線機から聞こえる。応答すると蘇武岳登
山途中。少し息が切れている様子。まだ山頂まで1時間ほどかかるそうだ。 |
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橋谷への尾根を降りる |
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こちらにも大桜 |
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思わぬハプニングに一時はどうなるかと案じたが、気を取り直し出発する。山頂から北東に延び
る尾根を下る。道はなく、各自歩きやすいところを選んで歩く。ツガの幼木が尾根に広がり、かき
分けると手が痛い。しばらく急な斜面を方向を誤らないように下りていく。こちらの尾根にも桜の大
木が多く、どんな花が咲くのか、やまあそさんはとても関心があるようだ。花の時期には麓から見
えるのかな?
落ち葉が濡れ、滑りやすい。気をつけて下りているつもりだが、何度か足を滑らせる。
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笹の尾根 |
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倒木を避けて歩く |
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尾根の傾斜が緩くなり歩きやすくなると笹が多くなる。踏み跡は鹿の通り道か。
387ピークは藪で山頂という雰囲気は全くない。ここから東へ下りなければならないのだが、ひどい
藪でクモの巣と古い倒木を除けながら下りるとズボンはどろどろ。「たぬきさん、こっちやで〜。」の
声の方へ寄っていく。どこを歩いても歩きにくいが、なんとか尾根にのる。しかし、その先は倒木でふ
さがれ、とても歩けそうにない。天座からの古い林道があるのでそれを使えないかと思ったが、天座
に下ってしまうので、仕方なく倒木を避けていったん尾根から離れる。そこにも鹿の踏み跡があり、そ
れを辿ると尾根に続いている。やはり動物も倒木を避けて通っているらしい。
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俵峠へ降りる |
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立派な石仏 |
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なんとか尾根に復帰する。橋谷側には農業に使うキラキラのテープが短く張ってある。何のため
に?
行く手に電線と電柱が見える。峠が近いようだ。
「あっ、あった。」
やまあそさんの歓喜の声。橋谷と天座を結ぶ峠に下りると、土に埋もれそうな石仏が一体。峠に石
仏はあるかなぁ、と言っていただけに、こんな出会いは石仏研究家のやまあそさんにとってとてもう
れしいにちがいない。きれいな石仏にたぬき二人も見とれる。
峠道は深く掘れ、人の手で彫られたものにちがいない。
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大亀石(橋谷側) |
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大亀石の天座側 |
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さて、峠から橋谷へ下りるのだが、まだお楽しみが残っている。峠からさらに尾根を北東に進むと
大亀石と呼ばれる巨石があるはずである。それほど遠くないところにありそうなので行ってみる。
道はよく歩かれ、人々の往来の多さを感じさせる。ひと登りしたところに天座側からキャタピラの跡
が登ってきている。すぐ下に採石場があるのでそこからきたものだろう。すぐ上にキャタピラのついた
トラックが放置してあった。
その一段上に祠は見え、その後ろに大きな岩が横たわっている。これが大亀石か。橋谷側には愛
宕神社、天座側には御座岩神社があり、両方の村から祀られている。この岩は天照大神が下りたっ
たところ(御座岩)というわれがあり、そのまま信仰の対象となったという。天ヶ峰は天照大神が宿る
信仰の対象の山で、天座の人々の信仰の対象であったらしい。南西に天ヶ峰が望め、この岩にお参
りして天ヶ峰を振り仰いでいたのだろう。
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大亀石から赤石ヶ岳 |
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大亀石から天ヶ峰 |
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岩には加工痕も残っているらしいが、素人の目にはどれがそれなのか、確認することは難しい。た
ぶんあれがそうかな?という程度である。
展望はあまりないが、北に赤石ヶ岳が望め、数機のパラグライダーが飛んでいるのが見える。
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峠から橋谷へ下る |
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峠へのとりつき |
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大亀石にも出会え、また峠にもどる。やまあそさんはもう一度石仏を観察し、去りがたい様子。
峠から橋谷へ下る。峠道は歩きやすく、田んぼのそばに出る。すぐ下にコンクリートの道が見え、石碑が
立っている。石碑には「たじま」(但馬)「かうもり」(河守)という文字が見える。石碑からコンクリート道に下
りるが、こちらから登るとしたら、取り付きがわかりにくかっただろう。
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橋谷集落 |
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橋谷の集落は山の斜面に点在し、静かなたたずまいである。
「ちょっと話しを聞いてみよ。」
峠を下りたところのお家へなんのためらいもなく入っていくやまあそさん。中には老夫婦がおられ、おじいさ
んにお話しを聞いている。峠は、俵峠といい、滑りやすいので俵を敷いて滑りにくくしたからだそうだ。この
道は、鳥取街道と言われ、鳥取や出石の殿様の参勤交代の道として最短のコースだったらしい。家を留守
にしているとき、縁側にお茶を出しておくと旅人は休んで、また旅を続けたらしい。そのご老人がおばあさん
から聞いた話しだそうだ。天座へ抜ける車道ができたのが大正2,3年の頃で、それまではこの道がメイン
ストリートだったのだ。お家のたたずまいはその頃とほとんど変わらないのではないだろうか。しかし、おじ
いさんの記憶は明瞭で、しっかりとした口ぶりは何十年も前のことをつい昨日のことのように感じさせるほ
どだ。
おじいさんと会って、尾崎喜八の詩の一節がふと浮かんだ。
静かに賢く老いるということは
満ちてくつろいだ願わしい境地だ
このおじいさんのように賢く老いていきたい、そう思いながら家を辞す。
その隣のお家では籾を天日干ししている。こんな光景は永らく目にしていない。子どもの頃は農家では当
たり前のことだったが・・。
車のところへ歩いていると、畑で農作業中の女性が声をかけてこられる。天ヶ峰に登ってきたこと、俵峠の
こと、鳥取街道のことなどを話すと、俵峠という名前は知っておられなかった。このあたりは熊が出てきて栗
を採って食べるそうだ。にこにこと優しい笑顔の方だった。
昔のことを知っている方が減っている。お元気な間に何かに残しておいてもらいたいものだ。そういう意味
ではやまあそさんのように、わからないことを尋ねてまわることは大切なことである。
やまあそさんの車で小原田にもどる。帰る準備をしていると、近くのお家から男性が出てこられた。朝出会
ったおじいさんの息子さんかな?
丸子親王のこと、上峠と下峠のこと、登山道のことなど、いろいろ興味深い話しをしてくださったが、中でも
麓の村々から集まって相撲をとっていたのは山頂直下の祠のところではなく、別のところでとっていたという
話には一同興味津々。尾根から西に派生した支尾根の広いところにお寺だったか神社だったかがあったら
しい。そこには大きな杉があり、往時を偲ばせているという。登る前に聞いていれば、足を伸ばしたのだが。
天ヶ峰山麓はは見所が多く、また歩いてみたいところだ。
車を発進させ走っていると、カラカラと音がする。音の元をさがすと、サイドミラーにポリ袋が下げてある。車
を停めて中を覗くと、Yさんからの差し入れだった。曰くありげな2本はやまあそさんへ渡し、あとはおいしくよ
ばれながら帰路についた。Yさんありがとう。
帰って調べると、丸子親王は麻呂子親王のことで、用明天皇の御代、丹後國河守荘三上ヶ嶽(現在
の大江山)に、英胡(エイコ)・軽足(カルアシ)、土熊(ツチグマ)の三鬼を首領とする鬼たち
が棲み、朝廷は鬼たちを討伐するために麻呂子親王を遣わしたそうです。麻呂子親王にまつわる様
々な伝説がこの地方には残り、その地を訪れるのもおもしろいかもしれません。
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