|
|
|
|
深谷付近からの寺前城趾(尖ったピークの右) |
|
|
|
大河内町寺前の北に城跡のある山があるという。やまあそさんから誘ってもらったのは、10月
中頃。しかし、雨で中止になり、11月に入ってようやく決行となった。
山南町、中町、加美町と走り、高坂峠を抜けると神崎町だ。トンネルを抜けると神崎町という看
板は「神河町」に変わっている。11月7日に神崎町と大河内町が合併し、神河町となり、ほんの
3週間ほどの間に大きな変化があったようだ。
神河町役場に集合ということだが、地図を忘れ勘で走る。無線でやまあそさんに尋ねるとその
道であっているようだ。役場に到着ししばらくするとやまあそさん到着。下山地の立岩神社に行
きやまあそさんの車を置いておく。
ほどなくやまごさん到着。これで藪好き?トリオが揃ったことになる。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
最明寺 |
|
古墳を調べる |
|
|
登山口は最明寺というお寺だというので、やまあそさんの案内でお寺に向かう。お寺への道
は急坂で下りの運転が心配。
最明寺の駐車場に車を置かせていただくので、やまあそさんが挨拶に向かう。実は、3週間
前にこの近辺を下見しているのである。その時にご住職に出会い、いろいろお話しを聞いたそ
うだが、今日はご不在で、住職のお母さんが丁寧に対応してくださる。
猪柵を開け山へはいると、八十八ヶ所巡りの石仏が並んでいる。やまあそさんに導かれて歩
いていくと、あちこちに古墳がある。崩れずに残っている古墳を覗くと、高さは1m奥行きは2m
ほどの玄室。中に入らないようにとの注意書きがある。
寺前の城山麓には古墳時代後期(6世紀)の古墳が4基あり、そのうちの1つ、横穴式古墳が
原型に近い形で残っている。(入口 縦105cm 横90cm 奥行800cm)
(大河内町観光スポット案内より)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
奥の院のお不動さん |
|
稲荷神社跡 |
|
|
八十八ヶ所巡りのいちばん奧に不動明王がお祀りしてある。頭部の大きなお不動さんや
ね。
ここからいよいよ城跡への道である。植林の中によく歩かれた道が続いている。
「左の方を見て!」とやまあそさんが指し示す方を見ると、植林の急な斜面に石垣が見える。
「何?あれ。」
近づくと、石垣は何段もある。急傾斜のところによくこんなものを作ったものだ。やまあそさん
によると、ここに稲荷神社があり、人も住んでいたとか。落ち葉に半ば隠れた石段を登ってい
くと、最上段には屏風のような岩の壁がある。ここに祠が祀ってあったのだろう。その左上に
は石室も見える。昔は中に何かが祀ってあったのだろうが、今は何もないということだ。錆び
た小さな鍋が生活の跡を感じさせる。石段はコンクリートで固めてあり、それほど古い昔でも
ないようだ。
古墳といい、石垣の跡といい、謎の多いところだ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
寺前城跡 |
|
城跡に立つ掲揚柱 |
|
|
山腹をトラバースし、登山道に戻る。急な尾根をあえぎながら登る。この道は山上に国旗を
揚げるために使っていたそうだ。
やまごさんは体調が少し悪いらしい。そういえば先ほどから何やら臭いが・・。(^^) 休み
休み登っている。
勾配が緩くなると植林から雑木の明るい尾根となる。道のそばに鈴なりのナツハゼの実。
今年は豊作だ。ところによって呼び名がちがい、母からはちょっと口に出して言えないような
名前を教えてもらった。馬の鈴というかわいい呼び名もあるので、その方がぴったり。口に含
むとすっぱさの中にほのかな甘さがある。
少し歩いて一段上がると、平坦地に出る。まさしく城跡。
「旗を立てたのはこのあたりかな?」と振り向くと、7〜8mばかりの掲揚柱が目に飛び込む。
近寄ると、根元のコンクリートに学生服のボタンや校章が埋め込まれている。いつ頃まで掲
揚されていたのか知らないが、旗の一部が付近に落ちていた。
「寺前城趾」という標柱が立っている。webで検索すると
寺前城は十五世紀前期の築城と思われ、則村幕下の本郷伊豆守の居城と伝えられる。口
の城と、奥の城からなり、奥の城は十余の削平地と掘・土壘・石壘が遺っている。口の城は
二つの削平地からなる。
山名氏によって攻略されたと伝えられるので、嘉吉の乱で落城したのであろう。
(大河内町観光スポット案内より)
我々がいるところは「口の城」とよばれているところで、なるほど2段になっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
ナツハゼのくぐり抜けて |
|
藪が濃くなってきた |
|
|
口の城と奧の城の間は堀切のようになっている。そこに簡易トイレが横転している。標柱が
立てられた頃に持って上がったものかもしれない。こんなトイレどうして持って上がったのだろ
う。ヘリコプターを使ったのかな?
奧の城も小広い城跡で、木々の間から笠形山がピラミダルな姿を見せている。大柿さんの
プレートが枝からぶら下がっている。ちょうど1週間前に歩いている。
城跡まではいい道だったが、その先は踏み跡程度で、P497付近から東側は桧の幼木帯
となる。鹿除けネットが張られ、そのどちら側も歩きにくそう。サルトリイバラが足にまとわりつ
く。できるだけイバラのないところを歩こうと思うが、小枝が張り出し歩きにくい。しかし、藪す
きトリオはこれくらいの藪はどうってことはない。
ネットごしに笠形山が見える。もう少し展望のいいところがあるかも、と497ピークへ急ぐ。
しかし、イバラなどがじゃまをして心は急いでもなかなか歩行は捗らない。
ネットのどちら側を歩けば歩きやすいか、協議しながら歩く。植林の方を歩いた方が作業道
がわずかに残っており、比較的歩きやすい。
P497から北を見ると、P572が高くそびえている。
「あそこを登らないといけないのか。」
途中に展望のききそうな岩があるのでまずはそこまでがんばろう。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
途中の岩から雪彦方面を見る |
|
|
|
|
P497付近よりも大きくなった桧は枝を伸ばしているので歩きにくい。ゴロゴロした岩の間を
登っていくと下から見えた岩に着く。テーブル状になっているが、上には上がらずちょっと腰掛
けてみる。
「いい景色やねえ。」
淡路島も薄く見える。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
昼食場所から南の展望 |
|
|
|
岩から少し登ったところでお昼にする。南斜面なので風がなく暖かい。先ほどの岩のところよ
りもさらに展望がいい。遠くに淡路島、六甲の山並み。高御位山だと思ったら志方城山だとい
う。高御位山の向こうに瀬戸内海が光っている。思いの外、今日は展望がいいね。南西に目を
やると、雪彦山が頭を出している。さらに西には暁晴山。雌岡山、雄岡山が見えたので、三木
のMXFさんを無線で呼ぶと、雪彦のOAPさんが応えてくださる。
ゆっくりと展望を楽しみたいところだが、まだまだ先は長い。P544まで登るがますます藪が
ひどくなり、展望もない。ネットをくぐらないと先へ進めないので、どこかに抜けられるところはな
いかと捜していると北に展望が開けたところがある。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
高星山とその右奧にフトウヶ峰 |
|
|
|
高星山の下に天狗岩がくっきりと見える。その向こうにフトウヶ峰。こうして見ると同じよう
な姿の山だ。足下には季節を間違えたツツジが一輪。ピンクの優しい色合いにホッとする。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ツツジが一輪 |
|
|
|
次は544ピークに向かって歩く。こちらの尾根も足下は藪だが目の前には黄葉の山々が
広がりいい感じ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
黄葉の尾根(このあと、左の尾根を歩く) |
|
|
|
|
|
|
ドウダンツツジがあかい |
|
スッポンタケが「こんにちは」 |
|
|
ドウダンツツジが赤く染まりさらに彩りを添える。足下にはスッポンタケ。こんな乾燥したところに
も生えるんやね。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ムラサキシキブ |
|
深谷三角点 |
|
|
544ピークへの登りはネットの北側を歩く。自然林でずっと歩きやすくなる。ムラサキシキブの
可愛い実を写してみる。この実も今年はよく見かける。
比較的なだらかな尾根を登りきるとちょこんと三角点(深谷 544.0m 三等三角点)がある。
もう少しで見過ごすほど目立たないところにある。ここにも大柿さんの赤いプレート。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
深谷から西の尾根を進む |
|
閻魔坊はあそこかな? |
|
|
そのまま尾根を進むとP571の方へ行くのだが、我々はP500へ方向を変える。大柿さんは
P571の方から歩かれたようだ。やまあそさんがそちらの尾根をちょっと探索すると、なかなか
歩きやすそうな尾根とのこと。大柿さんもここまでは順調に歩けただろうが、その先は藪に悩ま
されたのではないだろうか。
こちらの尾根も鹿除けネットが続いている。桧が低いので展望がいいので、視線は遠くに行っ
てしまう。と、靴が何かに引っかかる。(-.-)
ここまで歩いてきた寺前城趾や尾根がぐるーっと見渡せ、けっこう歩いてきている。行く手には
これから向かうP500とその手前のピーク。そこに閻魔坊という寺跡があるという。そのピークが
近づいてきた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
P500へ向かう |
|
急斜面を下る |
|
|
閻魔坊があるというCa480に着く。植林と藪の何もないピークである。寺跡があったとは
思えない広さ。やまあそさんが五輪塔を捜すが見あたらない。
「いったい、どこなんやろ?」
ここで小休止してコーヒータイム。陽ざしがさしているのに細かい雨がさーっと通り過ぎる。
北の方の雨がちょっとだけやって来たのだろう。再び暖かい陽ざしがさし始め、我々も出発
する。
P500手前の鞍部まで来ると堀切のようになっている。西へ下る道はないようだが、東側
は藪になっていてわからない。
ここまでずっとネットが続いている。このピークもネット沿いに登っていく。ひと登りしたとこ
ろで西の山腹を巻いた道が現れる。
「ここ行けそう。」
作業道のようだ。少し歩いたところで大きく成長した植林の中に入る。ここからジグザク道
を下りるが、道がとぎれてしまう。戻ってP395.6へ続く尾根へ何とか歩けないかと、やま
あそさんが探索してみるが、行けそうにない。
歩いてきた道を戻り、一つ北の尾根を下ることにする。上から見ると木が伐採され歩きや
すそうだ。しかし、折り始めは激下り。周りの枝やネットの支柱を頼りに下る。これくらいの
下りはどうということはないが、足にまとわりつく小枝には閉口する。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
伐採された尾根を下りる |
|
立岩を望む |
|
|
ようやくなだらかになり、しばらく歩くと伐採された尾根に出る。ようやく歩きやすくなり、藪山ト
リオも安堵の表情。左に歩く予定だった尾根が長く延びている。その尾根の先端に立岩とよば
れる垂直の岩が見える。岩のうえには、その昔、立岩神社があり、今もその跡が残っていると
いう。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
庚申堂に下りたつ |
|
石の掛樋 |
|
|
尾根を下ると、木の間に瓦屋根が見え、降り立ったところは地図にない庚申堂だった。銀杏の
葉が黄色く色づき、あたりを明るくしている。
立岩神社へ戻る途中に看板があり、覗いてみると「石の掛樋」とある。すぐそばを流れる小田
原川は、昔、湯川とよばれ湯が出ていて、湯や水を通したものであるらしい。その奧に宝篋印
塔もあったがこの方は何も説明がない。
立岩神社前のやまあそ車で最明寺へ戻る。晩秋の陽は傾き始めている。閻魔坊にたどりつけ
ずちょっと残念ではあったが、前半は見所がいっぱいだった。
二人と別れ、国道312号線から高坂峠へ向かう途中、大きな虹が眼前にかかる。冬の到来
を告げるように。 |
|
|
|
|
|