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大岩山、つい先日までは名前すら知らなかった山。もっさんやかねちゃんのレポートから
ぜひ行ってみたい山となった。調べていると海老坂という若狭越えの峠道もあり、この峠
経由で歩けないかと地図を見るとぐるーっと周回できそうである。
このところ京都丹波の山に続けて登っているが、今回も市島町戸平から旧三和町へ抜け
9号線を南下して旧丹波町から南丹市(旧日吉町)への道を走る。
日吉町四ッ谷から海老坂に入る。自転車を奥山林道に置き、海老坂へ向かう。奥山林道
の分岐には、0.9kmで玉岩地蔵堂と近畿自然歩道の標柱が建っている。400mほど走
ると左へ林道が分かれ、この道は海老坂の北に続く広域林道である。あとでこの林道を歩
くことになるのだが・・・。
林道分岐から500mで玉岩地蔵堂である。すぐしたの広いところに車を置き、歩き始め
る。 |
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玉岩地蔵堂そばのお墓 |
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玉岩地蔵堂 |
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見上げると石垣の上に立派なお堂が見える。お堂と思ったのは庫裏のようで、お堂はここ
からは見えない。道の左の石垣の上には卵塔や宝篋印塔などが並んでいる。お墓のようだ。
元文、安永などの年号が見える。いちばん奧のものは昭和初期のもの、ここで暮らしていた
人のものだろうか。
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石垣にはユキノシタの花満開 |
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地蔵堂 |
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ユキノシタの花でおおわれた石垣の上がお堂である。立派な地蔵堂である。
玉岩地蔵堂は、八百比丘尼が諸国を行脚し、若狭へ帰る途中、ここでひと休みしたところ、
背負っていた地蔵尊が動かなくなり、ここにお堂を建ててお祀りしたという言い伝えがある。
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海老坂を歩く |
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今日の目的の一つ、玉岩地蔵堂に詣で、海老坂を登っていく。植林の中につづらおれの道が
残っている。
案内板には
海老坂は現在海老谷から板橋に通ずる昔の若狭街道の峠のことである。・・・中略・・・ 大正
年間、この峠を毎日延百人の女性が炭俵四俵を背負って美山町板橋から四ッ谷の浜まで越え
牛馬も七,八十頭が越えた。後略
とある。この道を牛や馬が通り、炭俵を背負った女性が毎日歩いていたのか・・・。それにしても
四俵とは重かったにちがいない。
しばらく歩くと植林から雑木に代わり、また植林となり、ほどなく峠に到着する。
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峠(右に祠) |
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祠の中の石仏 |
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峠は深く掘れ、背丈より少し高いところに祠があり、頭部のない石仏があり、如意輪観世音
という文字がみてとれる。
峠のすぐ北には、海老谷からの林道が延びていて、板橋へ下っている。 |
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峠の上に立派な宝篋印塔 |
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ふと峠の上を仰ぐと、大きな宝篋印塔が目につく。林道の方へ出ていた父たぬきを手招きし
早速上がって見てみる。文字は判別できず、いつ頃のものかはわからない。こんな大きなも
のを誰が何のために・・・。海老坂はなかなか見所の多い峠である。
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林道から北の展望 |
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林道を歩く |
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峠から尾根にとりつく。日吉町・美山町側とも雑木だが、藪で歩きにくい。小さなこぶを越え
るとすぐ下に林道が走っている。天気も怪しいし、この先も藪のようなので林道を歩くことにす
る。
林道は尾根の北側を走っているので、北側の展望がいいが、悲しいかな山の名前がわか
らない。目印になる山でもあればわかりやすいのだが・・・。(^^; もう少し京都丹波の山へ
通わないといけないようだ。
林道は広く、舗装はされていないが、五月の三久安山の林道にくらべると格段にいい道で
ある。しかし、車には最後まであわなかった。
地形図を見ると、林道が尾根を横切り、南の支尾根へ下る辺りから再び尾根にとりつかな
いといけない。林道の分岐を越え、その先の尾根(Ca590m)から登ることにする。
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これから歩く尾根と工事中の林道 |
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シャクナゲのトンネル |
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地図では林道は尾根を回ったところで途切れているが、その先が工事中で、重機が大き
な音をたてている。いったいどこまで延びるのだろうか。自然林の山を削って道をつけ、雨
がふれば崩れ、また工事する・・、その繰り返し。
法面をよじ登り、尾根に出ると伐採地から工事中の林道が下に見える。その上にこれか
ら歩く尾根と鉄塔。さて、これから歩く尾根はどんなところかな?
しばらく歩くと、ユズリハが多く、「これシャクナゲではないよね?」と話していると、ほんと
うのシャクナゲが・・・。それも大きな木で、びっくり! 旧日吉町・美山町界尾根に出てしば
らくはシャクナゲのトンネルが続く。花殻が残り、花の時期はすばらしいトンネルだっただろ
うなと思う。花の終わったトクワカソウもある。シャクナゲとトクワカソウは同じところに自生す
ることがよくあるようだ。
目の前に赤い布がぶら下がり、分水嶺を縦走している山岳会名が書いてある。鞍部やこ
ぶに数字の書かれた黄色いプラスチック板が立ててある。「これはいったい?」 この山の
雰囲気にはそぐわないものである。かねちゃんによると、林道工事に関係があるのかもしれ
ないということだが、謎の看板である。
小さなこぶを越え、尾根が西に向きを変える。鞍部を歩いていると石油の臭いが・・・。すぐ
下が工事現場になっており、重機から吹き出る排気ガスが尾根まで昇ってくるのである。ま
さかこんなところでこんな臭いを嗅ぐとは・・・。重機の音とともに臭いも消えていった。
広い尾根を歩き、少し下って上り返す。この付近から藪になり歩きにくい。Ca620を越えた
鞍部にも「4」の看板が立っている。看板を見ながらポケットをさぐっていて、ここで落とし物
に気づく。
「あー、歩数計がない!」
紐が藪に引っかかり抜けてしまったようだ。しっかり留めていたはずだが・・・。落としたもの
は諦めがつくが、山のゴミになってしまったことが気がかりだ。
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イワカガミの急登 |
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大岩山山頂(758.3m) |
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気を取り直し、父たぬきを追いかける。大岩山までもう少し。標高差150mほどを徐々に縮
めていく。Ca670付近から急登となるが、辺りにはイワカガミが群生し、春はイワカガミの花
で覆われ、さぞきれいだろう。葉を踏まないように登っていくが足場を確保しながらなので2,
3枚踏んだかも?ごめんね、と言いながら登りきったところは593からの尾根と合流したとこ
ろ。次のピークで南西に方向を変え、ひと登りすると大岩山山頂である。三等三角点が木立
の中にあり、プレートが揺れている。西の一段低いところに鉄塔があり、これがこの山の目印
となっている。鉄塔には大飯幹線八六と書いてある。
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北には長老ヶ岳 |
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赤い鉄塔が目印 |
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南北に展望が開けていると「京都丹波の山」には書いてあったが、北に見える長老ヶ岳しか
同定できない。ポツポツと雨が落ち始め、南に見える山々も霞み始める。三角点の近くで雨を
避けながら手早くお昼ご飯を食べる。
今日は段ヶ峰で、OAPさんとIXWさんが無線のアンテナテストをしているはず。メインで呼ん
でみるが応答がない。他の周波数をさぐってみてもそれらしい交信は聞こえない。下山はさら
に町界尾根を歩くつもりだったが、雨が少し強まってきたので巡視路を下ることにする。
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巡視路を下る(伐採地) |
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歩きやすい道 |
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最初は巡視路が崩れかけているのでゆっくり下りる。岩の急な尾根を下ると、人の手で掘
られたような跡がある。鉱山跡だろうか。近くの美山鉱山は珪石のようだが・・・。
尾根は緩やかになり、巡視路なので快適な道が続く。それに緑いっぱいで何度も深呼吸。
鉄塔八七を過ぎると伐採地になり、展望が開ける。再び雑木の中を歩き、鉄塔八八を右に
見て、尾根を下る。プラの階段が現れると奥山林道も近い。
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林道に下りたつ |
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自転車でGo! |
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山頂から50分ほどで林道に下りたつ。雨脚もそれほど強くならず、雨具もあまり必要なか
った。自転車を置いたツリオ谷の入り口までは10分ほどの歩き。2台の自転車が木の下で
待っていた。
車を置いた玉岩地蔵堂まで自転車で戻る。細いタイヤの父たぬきのクロスバイクは未舗
装の道では乗りにくそう。私の折りたたみ自転車の方が快調に走る。
奥山林道から海老谷まで戻る。ここからは舗装の昇り道。今度は父たぬきの方が断然快
調。私をたちまち追い抜いてぐんぐん登っていく。結局、地蔵堂まで500mのところで待つこ
とにする。
海老谷集落を抜け、四ッ谷へ戻ると、雨もほとんどやんでいた。
京都丹波の山は、若狭と京都が近いからか見所も多い。次は晩秋に歩いてみたいね。
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