石龕寺から石戸山を歩く
(せきがんじ)
兵庫丹波 山南町


 台風15号の影響で、職場の行事が延期になり、出勤の予定が休みになった。午前中降っていた
雨も午後にはやみそうなので、お昼からちょっこっと石戸山へ行ってみる。
 石戸山へは、柏原の高見城山から歩いたことがあるが、そのときは石龕寺へ下りずに石戸の方へ
下った。
 今回は、石龕寺を起点に地蔵堂〜頭光嶽〜鉱山跡〜石戸山〜岩屋山〜石龕寺と左回りに歩くこ
とにする。
 石龕寺は、587年聖徳太子の開基と伝えられ、足利氏ゆかりの古刹である。つめあと栗(ててうち
栗)にまつわる話も興味深い。
 仁王門の前の駐車場に車を置き歩き始める。石龕寺から流れている岩屋川は、1999年の大雨で
大きな被害を受けたところだ。それに関連する工事か、堰堤の工事がなされている。
 兵庫県の文化財に指定されている町石の前を通り、仁王門をくぐる。ここには、定慶作といわれる金
剛力士像があり、なかなか見所の多いお寺である。秋には紅葉がきれいなので、その頃にも訪ねて
みたいところだ。

町石 石龕寺

 案内板に従い、奥の院をめざす。少し登ると視界が広がり、ちょこんとした至山が目に飛び込んでき
た。風は強いが雨はやみ、雲が速く流れていく。よく整備された植林の中のつづらおれの道を登る。
登山道の脇には、小さな石塔が同じくらいの間隔で置いてある。高さ25cmほどの小さなお地蔵様が
1体。誰がいつ彫ったものだろうか。とてもほほえましい。

地蔵堂への路傍には 高さ25cmほどのちいさな石です

 石の階段を上がると奥の院地蔵堂だ。立派な鐘楼が建っている
 案内板には、
 中世の石龕寺の僧坊の一つ増福寺和田坂地蔵堂に因んで平成六年に建てられた。

とある。
 まだ新しい鐘楼、毘沙門堂が建っている。中を覗くと、暗がりの中にお地蔵様が見える。
 毘沙門堂の向こうには足利尊氏が棲んだという住居跡も。
 また、寺坂道(裏参道)への道もあり、次回はそちらへも行ってみたい。

もう少しで地蔵堂 平成6年建立

 奥の院から歩いていると、ゴウゴウという風の音。鉄塔を吹き抜ける音が近づいてくる。見上げると、
頭光嶽(439m)の石垣の上に鉄塔。

 聖徳太子が毘沙門天像を求めてこの地に来られたとき、この山よりまばゆい光が発し
ていたので一寺を建て名付けられた。

 
 今は鉄塔が建ち、わずかに石垣が往時をしのばせるのみとなっている。しかし、ここからの展望は
すばらしく、西には篠ヶ峰、千ヶ峰、笠形山が屏風のように見える。
 北には、金屋鉱山跡、石戸山が見えてきた。

頭光嶽 頭光嶽から笠形山

 風が強い。台風は今頃どの辺を進んでいるのか・・。雨の心配はなくなったが、尾根を吹き抜ける
風は一向に弱まる気配がない。
 頭光嶽からはほとんど平坦な尾根道。が、転落注意の立て札。鉱山跡の深い崖が現れる。登山
道は鉱山の深い底に下りていく。途中に壊れた作業小屋が残っていた。
 底まで下りると、さびたブルドーザー、トラックが放置してある。ここまでどのようにして持って上が
ったのだろうか?
 金屋鉱山は、案内板によると、大正時代から昭和50年代まで採掘されていたらしい。輝緑岩の
岩脈やカオリナイトという岩石が露出しているらしい。カオリナイトは、タイルや陶磁器の原料だった
が、輸入に押され廃山とある。跡から一筋の流れが東の方へと流れている。静かできれいな流れ
だ。
 鉱山跡から再び山の中へと入っていくが、下った分以上を登るので、かなり急だ。その上、暗くて
何となく怖い。
 登り切ったところが、高見城山から石戸山、そして石龕寺へ南北に繋がる尾根、岩屋城堀切跡で
もある。3つある堀切の一番北のものだ。

鉱山跡(頂上は岩屋山)と右ピークは石戸山 金屋鉱山跡

 ここから尾根を右にとり、石戸山へと向かう。落葉松のいい匂いをかぎながら歩いていると、ほど
なくコンクリートの建物が見えてくる。石戸山山頂に設置された建設省(国土交通省)の無線施設
だ。
 山頂(548.8m)は、以前来たときと同じように木や草に覆われ展望がない。山頂真ん中には、
四つの石の守られた一等三角点がちょこんと座っている。一等三角点は氷上郡ではここ石戸山に
しかない。粟鹿山にも一等があるが、山東町与布土に位置するので、氷上郡ではここだけなのだ。
そのためか、石戸山はふるさと兵庫50山に選定されている。
 無線機から知り合いの声が聞こえてくる。父たぬきがブレイクを入れるが、とってもらえない。
 風がどんどん雲を南に運び、青空が広がってきた。時計を見ると、時刻は3時に近い。お茶とお
やつを少し食べ、下山にかかる。



石戸山(一等三角点) 岩屋山から至山(左)

 堀切跡まで戻り、ここから石龕寺直通コースを歩く。堀切を2度過ぎ、平らな岩屋山頂(506m)
に出る。ここにも、転落注意の札と鎖がある。覗いてみるとその下は鉱山跡だ。鉱山の切り立った
崖の上は岩屋山だったのか・・。案内板によると、山頂の平地の大部分はカオリナイトの採掘で削
り取られ、往時とはかなり様子が違っているようだ。北の高見城と通じ、南・西・北東を見下ろす要
害の地であったらしい。中世は修験の根拠地として、熊野・白山両権現を祀っていたということで小
さなお社が二つ祀ってあった。

 岩屋山から石龕寺への道も巡視路ではあるが激下りで、プラスチックの階段にも滑らないように
イボイボがある。まだ濡れているので滑らないようにゆっくり慎重に下りる。と、突然、父たぬきが
木の根で滑り転倒!気をつけねば。
 木々の間から、頭光嶽や、奥の院の鐘楼の屋根が見える。展望所という案内板があったがどこ
かわからないままだった。
 ちょっとした岩の下りもあり、鎖を頼りに下りる。

頭光嶽 下りにはこんなところも
 石龕寺の屋根が大きく見え、コンコンという音が聞こえると、そこはもう石龕寺の裏。何を建てて
おられるのか、地元の工務店の方が作業中である。本堂の前に出て参道を下りると、大きな木が
そびえている。コウヨウザンという木で、県内最大らしい。

 まだ風は強いが、こころもち穏やかになったように感じる。新旧の歴史を感じながら石龕寺を後
にした。

 
行った日 03.9.21(日)
行った人 たぬき二人
山行タイム 石龕寺駐車場13:25〜地蔵堂13:50〜頭光嶽14:05〜
金屋鉱山跡14:25〜石戸山山頂14:40ー14:50〜
岩屋山15:00〜石龕寺15:45〜駐車場15:50
2.5万図 柏原