日ヶ奥池のすぐ北に天ヶ岳というわずか312mの山がある。頂上には石仏があり、昔は雨乞い
をしていたという。午前中は出られないので、午後にでも行ってみようと思っていると、島田さんが
すぐ近くの山に登り、すでに下山している。日ヶ奥渓谷入り口近くで待ち合わせ、天ヶ岳に登って
みる。
日ヶ奥池の堰堤に車を置き、池の一番奥から破線の道と思われる谷に分け入るも・・・、道はなく
歩きやすい道を求めてすぐに藪こぎとなる。 |
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日ヶ奥池 |
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破線の道?の谷へ |
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藪に突入し、3人がそれぞれに自分の行きたい方向へ進む。「そっちはどう?」などと声をかける
が、どこもかしこも藪、やぶ、ヤブ・・・。 |
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ようやく藪から脱出 |
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尾根は歩きやすい |
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でも、それも少しの間で、すぐに尾根に出る。しばらくすると歩きやすい尾根の道となる。「あれ?鹿」
という父たぬきの指さす方を見ると、すぐ左に鹿がこちらを向いている。逃げる気配もなく、じーとしてい
る。何かに足を挟まれて動けなかったのか、それともおもしろい動物が3匹もやってきたので見とれて
いたのか・・。
尾根には、「梶原」のコンクリート標柱、「小多利」、「南」と記された杭がところどころにある。
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山頂の西にある役行者像 |
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石仏レクチャーを聴く |
なだらかな尾根を歩き、段になった天ヶ岳山頂(312m)。城跡か砦跡だろうか。ピークから少し西
に歩くと、西向きの役行者像が石室の中にある。昔は雨乞いもされたというが、今はどうだろうか。
石仏前には焚き火跡も残っている。
行者像のある広場から北と南西に踏み跡が下りている。参道はたぶん北に下りる道ではないかと
思うが、南西へ下りることにする。最初は歩きやすい道だったが、徐々に藪と化し、道のようで道でな
い尾根を下る。松茸山を区切るPPロープもある。
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峠に下りる |
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堰堤から西を望む |
藪も何のその、何とか日ヶ奥池と市島町南をつなぐ破線道の峠に下りたつ。深く掘れた峠なの
で昔はけっこう往来があったのかもしれない。谷沿いに日ヶ奥池の方へ戻ると、ほどなく池の下
の林道に出る。1時間ほどの山歩きだったが、その60%は藪だったような・・・。(^^;)
池の堰堤に立つと、細い谷の向こうに石生向山が連なっている。
やまあそさん、これくらいの藪こぎでは物足りなかったかな?
尚、昭和30年発行の「丹波志」の南村の項に古城跡として、
民家より巽に当り、山の峯に少しの屋敷跡あり古山という。人家より登ること二町ばかり。
とある。この古山が天ヶ岳かどうかは定かではないが、巽は南東の方向なので、天ヶ岳に近い
所であることは確かだ。
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地図はこちらをご覧くださいね |
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