お杉地蔵から兵庫丹波最高峰粟鹿山
兵庫 青垣町山東町

仏岩付近から頂上を望む


 GWの最終日、さあどこへ行きましょう?朝起きてみると、空気が澄んで展望が良さそうだ。昨晩から予定していた
山を展望のよい粟鹿峰(あわがみね:小さい頃から粟鹿山のことをそう呼んでいる)に変更する。粟鹿峰は兵庫丹波
最高峰(962.3m)。丹波但馬界にそびえる大きな山だ。山頂には中継施設が林立し、まわりの山々から同定しや
すい。
 今回のルートは、青垣町大稗から与布土に至る昔の峠道を歩き、途中から黒川からの尾根を山頂までたどるもの
である。

 7:30、大稗の公民館に車を置き、おすぎ地蔵さんを目指して歩き始める。田には早苗が5月の風に揺れている。
 火の用心の標識に従い、山道に入る。植林の中の道広い道を登っていくと、峠におすぎ地蔵さんが静かに立ってい
る。おすぎさんと出会うのは2回目。この地蔵には悲しい話が伝わっている。親孝行なおすぎさんが奉公先で父親の
急を聞き、いつもは通らないこの峠を通って帰る途中、降りしきる雪の中に倒れ、翌日村人に見つけられたが、時すで
に遅く・・・。孝行なおすぎさんを忍び、後年村人が建てたものである。一昨年、このお地蔵さんを3度目の探索でようや
く見つけたことを思い出した。おすぎさんの面影をうつしたその表情は穏やかでやさしい。
 おすぎさんとゆっくり話したいところだが、今日はこの先がどうなっているかわからない。先を急ごう。
 
大稗から仏岩付近を望む おすぎ地蔵

 おすぎ地蔵からも尾根伝いに山頂にたどり着ける。むしろその方が早いのだが、今日は、おすぎ地蔵から与布土へ
抜ける道を歩きたかったので、そのまま峠を下っていく。間伐された杉が大量に倒れているが、山道は通りやすくして
あり、なんなく大名草(おなざ)からの林道に飛び出る。林道の奥まで車で走ったことがあるが、それよりも手前だった。
「こんなところに飛び出るとはねえ。」
 作業のために黄色のテープがまいてある杉が林道からおすぎ地蔵方面への入り口だ。
 100mほど林道を歩くと、左に谷がある。沢の左岸にかすかに踏み跡らしきものが見える。
「うん、ここや。」「この道をおすぎさんは歩いて帰ったんやね。」
踏み跡はしっかりしていて、昔の峠道だということを確信した。谷沿いに少し歩き、道はトラバースぎみになっていく。
見上げると杉が行儀よく植えられていて、上に向かってまっすぐな道があるようだ。
「きれいにそろってるねえ。昔の田植えみたいに綱張って植えたんかなあ。」「そんなことないよねえ。」

  
木の橋の向こうから出てきた 黒川からの尾根道

 植林帯が切れ右側が雑木の明るい林になったら、雲頂山から粟鹿峰に続く尾根も近い。林道から20分で、尾根に
でる。ここで小休止。風がよく通り、少し寒いくらいだ。尾根を南に歩くと、黒川ダムへ行くことができる。いつか歩きた
いものだ。また、ここ から西に下ると与布土に至り、粟鹿峰の与布土コース登山口に出る。
 おすぎさんは、現在の和田山町藤和に奉公に行っていたのだが、雪の降る日にこの道を通ったのだろうか。その時
も風の音だけが聞こえる寂しい峠だったに違いない。
 
 さあ、いよいよ粟鹿峰への登りだ。郡界尾根は歩きやすく、ところどころに黄色いテープが巻いてある。赤黒の境界
杭も目印となる。それでも地形図を見ながら慎重に歩いていく。

 振り返ると雲頂山が南に大きく見えるようになってきた。高度が上がるに従い、笹が多くなっていく。
 Ca650mを越えた辺りで植林がなくなり視界が開ける。目の前に粟鹿峰の頂上が現れた。
「わあ、きれい!」西には氷ノ山も大きく見える。青垣町側は伐採地で南東方面が開け、岩屋山をはじめカヤマチ山、
三国岳が顔を出している。すばらしい展望だ。
笹の尾根 はずかしそうなチゴユリ

 伐採地が切れると、笹の急斜面となる。踏み跡もほとんどなく、深い笹の中を進んでいく。立ち止まってズボンを見る
と何やら這っている。
「ササダニが、いたダニ。」「さぶ〜。」

 少し前をゆく父たぬきが何やら大声を上げている。何があるのだろう?笹に覆われて見えない。急いで追いついて笹
をかき分けると、なんと広い道が・・。与布土からの登山道が合流しているのだ。
「与布土コースの道やね。」 「ええ道やん。」
 ここからはこれまでの笹の尾根と違い、広くてよい道だ。路傍にはチゴユリがはずかしそうに咲いている。気持ちのよ
い道も少しの間で、すぐに稲土からの舗装路にでてしまった。出たところに山東町が設置したトイレがある。その立派さ
に父たぬきはびっくり。

 この前来たのはいつだったか・・。義父母、まだ小学生の息子、そして柴犬のコロちゃんの5人+1匹で、浄丸の滝か
ら専用道路を延々と歩き、最後は息子と義母がへろへろになってたっけ。ちょうど連休やったなあ。そして今、息子は京
都で一人暮らし、義父母もあの頃の元気はもうない。そして、コロちゃんも1年前にいなくなった。その日のことはもう記
憶の底に沈んでしまい、容易に浮いてこようとしないが、陽ざしが明るかったことだけはよく覚えている。
 あの頃はもう戻ってこないのだと少し感傷的になっていると、いつの間にか三角点への鉄のはしごの前に来ていた。
朱線から登ってくる(青ルートは与布土へ下る) 粟鹿峰山頂

 粟鹿山頂上、962.3m。一等三角点。きれいな三角点だ。
 時間が早いのか、誰もいない。さっそく、父たぬきはザックから手作りの8段コーリニアアンテナを取り出し、近くにあっ
た杭にくくりつけている。私はあまりの展望のよさにしばしうっとり。しかし、北と南側に無線中継所があり、景色が途切
れてしまうのがなんとも惜しい。西には来日岳、三川山から蘇武、妙見山の長い稜線、西に氷ノ山、鉢伏山、その手前
にぴょこんと尖った御祓山、その左には、大杉山、須留が峰、笠杉山から段が峰、そして先日オフの高星山。東に目を
やると、北から三岳山、大江山、うすく青葉山、弥仙山、頭巾山、五台山、小金ヶ岳、三嶽。 山々を眺めていると、それ
らの山を登ったときのことが思い出され、またまたセンチメンタルになる。
 
 さて、思い出に浸っているうちに父たぬきはCQを出している。しかし、応答がない。私のハンディ機でCQを出すと、扇
ノ山林道の局から応答があった。どうも父たぬきのハンディ機の調子がおかしいらしい。三嶽のふもと大たわのteihaiメ
ンバーWMさんと繋がったので、同じくメンバーの水谷さんが小金が岳から三嶽へ行かれていることを伝える。何局か応
答して頂いた中に、teihaiメンバーがおられびっくり。はじめの交信だったが、あとでpekeさんと判明する。大蔵部山頂上
のIXW島田さんからもコールがあり、お互いに山の情報を交換する。大蔵部山は和田山の山で、竹田城趾の右側によく
見えている。山と山を声で繋ぐ無線は本当に楽しい。

 無線をしている間にご夫婦連れが一組。専用道路を歩いてこられたらしい。静かに食事をされているそばで騒がしく無
線をする二人連れをどう思われただろう。食事が終わると先に下山して行かれた。
 お昼ご飯も無線をしていると何を食べたのかわからなくなってしまった。
山頂の柱にアンテナをくくりつけて 段が峰 高星山方面(最奥)

 気がつくと、山頂に着いてから2時間以上経っている。そろそろ下りるとするか。荷物を持って下りようとすると、単独
の男性。与布土コースをこられたようだ。加古川の人だった。我々のコースを説明し、氷ノ山をお教えして下山にとりか
かる。

 三角点のそばでは見えなかった北方面と南方面を眺望し、心を残しながら山頂を後にする。来た道を少しだけ引き返し
ひもの張られた仏岩方面へと進む。短い笹の急な道を下り広い鞍部から再び登り返すと平らなピークに出る。その先に
は、枯れたすすきが一面に広がる笹のピークが広がっていた。814mピークの西にあるCa840mピークには鹿除けネッ
トが張り巡らされているのでその中に入って見る。笹の中にはうすい踏み跡があるが、ネット沿いに歩くとそのままその
尾根を下ってしまうので、ネットから出て814mピークへ。
真ん中のおにぎり山は大箕山(おおみやま) 赤ルートを仏岩方面へ(青は登ってきた道)

 「丹波森の径」には、814ピークを仏岩と書いてあるので、探してみるがそれらしきものはみつからない。振り返ると、
すすきと笹のCa840mピークが我々を見送っている。あとでわかったことだが、ここを少し下ると仏岩があるようだ。ま
た、そのまま尾根を下りていくとおすぎ地蔵にたどり着く。
 今回は、814ピークから南へ延びる尾根を下る。鹿除けネットが尾根を二つにわけている。ネットに引っかからないよ
うに歩くが、笹がじゃまをする。茨や山椒のとげに刺さらないように注意しながら下りる。景色に見とれていると、つい足
元がおろそかになり、何度もこけそうになった。
左へ下るとたぶん仏岩 大きな鉄塔57を見上げる

 笹の尾根を下ると勾配がゆるくなり、左側が植林となる。小稗(こびえ)の印なのか、小の字があるコンクリート杭が等
間隔に現れる。もう歩きにくいところもなく、落ち葉ふかふかの道を若葉の木漏れ日をあびながら歩いていく。
 展望のない道をしばらくいくと視界が開け、鉄塔57に出た。高い鉄塔を見上げると、白い雲が流れて、まるで自分が
動いているようだ。
 ここで休憩。岩屋山の上空にたくさんのパラグライダー。いい天気なので20機以上は飛んでいる。
「こんな天気の日は気持ちええやろねえ。」
頂上からは下の方に見えていた大箕山や五台山が大きく見えてきた。

巡視路 鞍部がおすぎじぞうさん

 鉄塔からは巡視路を下りる。プラの階段が落ち葉や土に埋もれている。そのうちわからなくなってしまうのではないだろ
うか。
 下りたところは、省山窯の前の林道終点から奥に入った谷だった。
「あれ、ここ来たことあるね。」
そうだ、おすぎ地蔵を探しに来て見つからなかった谷だ。あのときは、道もなくなり1時間以上彷徨って諦めたっけ。
 
 おすぎさんの足跡をたどり、途中から粟鹿峰に登るという計画はずいぶん前からあたためていたが、ようやく果たすこと
ができた。次におすぎさんに逢えるのはいつのことだろう。
  

行った日 02 5.6(月)
行った人 たぬき二人
山行タイム 大稗公民館7:30〜お杉すぎ地蔵8:00〜林道8:25〜黒川からの尾根8:45〜
与布土コース合流9:55〜山頂10:20ー13:00〜鉄塔14:25〜大稗15:10
2.5万図 矢名瀬 大名草