霧山は中央分水界から氷上盆地へ半島のように突き出た山である。戦国の世、丹波
鬼と呼ばれた波多野宗高が築いた氷上城があったところだと言われている。しかし、こ
れには諸説あり、定かな話しではない。八上城主の波多野秀治を東波多野(東屋形)と
呼ぶのに対し、西波多野(西屋形)と称されていたという。今日は波多野氏ゆかりの地を
ミニ周回することにする。
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意春坊さんが作ったという堤防 |
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意春坊さんのお墓 |
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車を氷上集落の新しい公民館に置かせてもらい、登山口の市辺の二宮神社へ向かう。
氷上と市辺との境には土が盛られた堤防がある。高校へ通いながら、これはいったい何なんでろ
う?と思ったものだ。県道から離れ、村の道に入ると、山裾にお堂のようなものが見える。上がって
みると、ここが意春坊さんのお墓だ。
天正の頃、氷間下村(今の市辺)にたどりついた意春さんは村民の毎年の洪水に悩む村人の苦
難を見かね、田畑を開田したり食料を調達したり、また堤防の改修や道路工事、また三木城主別
所吉治の助けを得て、一石一字の法華経の経塚を造るなど、人々を助けたという。市辺では今で
も意春さんの亡くなった日に意春祭を催して、その徳を讃えている。(墓碑要約)
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経塚 |
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明るくなった霧山山頂 |
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今も残る氷上市辺境の堤防はこの意春さんにゆかりのあるものなのだ。経塚は意春さんのお墓
から少し南に歩いたところにある二宮神社にある。先般の台風で屋根瓦が傷んでいたが、きれい
に葺きなおされている。経塚は氷上町の文化財に指定されているが、経塚のことを知っている人
は少ないかもしれない。
霧山への登山道は神社の裏手から続いている。氷上高年低山会の道標が設置され、ピンクの
テープが霧山へと導いている。それに従って歩き始めたが、昨年下りてきた道とどうもちがってい
る。確か山腹を歩いたはずだが、ピンクテープの道は谷を直登している。記憶を頼りに歩くと去年
歩いた道が見つかる。
「これこれこれでんがな・・・」
しかし、枯れた松が倒れ、歩きにくいことこの上ない。倒木を避けて歩くので道を見失わないよう
にしないとね。倒木が少なくなるとシダに覆われたジグザクと急登。勾配がゆるみ始めると山頂
から西に延びる尾根だ。台風で枝が落とされ、少し明るくなっている。枝が足に引っかかり歩きに
くい。
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南の展望 |
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南東には向山連山と左奥に霞む三嶽 |
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下りでは緩いと思った尾根も登ってみるとけっこうきついものだ。それでも二宮神社から20分ほど
で山頂(371.7m)に着く。
山頂は南側が切り開かれ、南から直登の道が上がってきている。低山会が整備されたコースのよ
うだ。展望がよくなり、真っ先に高見城山が飛び込んでくる。高山・猿藪、権現山、その向こうに向山
連山、東には三嶽が霞んでいる。
欠けた二等三角点の前には低山会の標識が立てられ、以前は暗かった山頂も明るい雰囲気。山
頂は広く、お城があったとしても不思議ではない。一段低いところは曲輪跡だろうか。
霧山から東へ進み、分水界尾根へ出る。分水界の径を北へ歩き、天王坂南のCa270mピークか
ら西の尾根を歩く予定だ。270mピークからこれから向かう尾根を捜すが、藪でわかりにくい。少し歩
いて木の間から下を見ると天王坂から下りてきた道路が見える。
「あれ、進みすぎたなあ。」
少し戻って電子基準点からほんの少し下ったところで尾根が見つかる。尾根は基準点から続いてい
るようだ。
歩けるかどうか案じていたが、踏み跡があり、Ca220mあたりまではなかなかいい雰囲気の道だ。
北に愛宕山・五大山、烏帽子山、五台山が頭を覗かせている。南は先ほど歩いた霧山が大きく迫る。
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愛宕山(左)と五大山(右) |
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霧山北面 |
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下って鞍部に出ると、よく掘れた道がある。この道をたどれば下りられるので、一瞬弱気になり、
このままおりてしまおうかとも思ったほどだ。
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大岩から西の展望 |
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地形図では、次のピークに岩マークがあり、頂上のすぐ南に大きな岩がある。ちょっと登ってみ
ると、西にすばらしい眺望が広がる。こんな大きな岩には名前が付いてるかもね。安全山から白
山の山並み。甲賀山を中心とする成松の街。その手前には豊岡道の工事が急ピッチで進んでい
る。もちろん南正面には霧山。
大岩から193ピーク、登り返してCa180ピークに立つと狭い山頂に石組が残っている。ここにも
何かあったのだろうか?
ピークから西に少し下るときれいな道が現れる。重機でけずって作られたようだ。予定していた
地形図の破線の道に出ることが出来た。やれやれ・・
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波多野宗高公碑 |
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左に大岩が見えます |
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南にしばらく歩くと石の鳥居と石碑が立っている。ここが波多野宗高公碑。立派な石碑だ。大正6
年の建立とある。謂われが漢字で書いてあるが、悲しいかな全くわからない。
道は左に折れ、すぐに妙音寺の裏手に出る。法事の真っ最中か、本堂から読経の声が聞こえる。
公民館に向かって歩いていると自転車で出かけようとするおばあさんに出会う。大岩のことを尋ね
ると、名前はないが、岩の下に毘沙門さんが祀ってあるという。最近はお参りする人もないので道も
荒れているだろうとのこと。また山頂に残る石組みは、波多野宗高公のお墓があったが、麓に降ろ
したそうだ。毎年決まった日にお参りする習慣があったそうだが、今はそれもしなくなったそうである。
見上げると、今日歩いた霧山からの尾根が一望。次は毘沙門さんを訪ねてみたいな。 |
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