中央分水界を歩く 遠阪峠〜小風呂〜千原峠
兵庫 青垣町 京都府 夜久野町


 丹波と但馬をつなぐ遠阪峠は昔から交通の要衝だった。今はトンネルができ、丹波と但馬が近く
なったが、子どもの頃は、急カーブに冷や冷やしたものだ。また、中央分水界でもあり、ここを起点
に南北へ歩こうとやまあそ島田さんと話していた。

 今日は峠から東の分水界尾根を歩こうと、私の車をいきものふれあいの里近くの梨木峠に置き、
島田さんの車で遠阪峠へ向かった。
 夕方から宗次郎のオカリナコンサートに行く予定なので、時間に制約がある。はたして梨木峠ま
でたどりつけるのか・・・。
 
遠阪峠からは白い山並みが見える 分水界郡界)尾根への急登を行く

 峠の最高点から少し東の石碑のところから登り始める。植林の中を支尾根にとりつく。やがて雑
木の明るい尾根に変わる。使われなくなったテレビのアンテナ施設が残っている。赤テープも現れ
木に「兵庫分水界縦走隊」と書かれた太いテープが巻かれている。テープには、峠へ矢印が書か
れているので、峠へ下ったのだろうか。
 県境尾根までは急登で、暖かい陽ざしを受け汗が出てきた。

 山東町・青垣町界と県境尾根が合流するところは、Ca500mピークで、古い鹿除けネットが残っ
ている。立木に遮られ展望はないので、長居は無用、県境尾根を東に歩く。尾根に平行して広い
仕事道があるので、藪っぽいところはその道を歩く。
小風呂直前の切り開きから 氷ノ山から鉢伏山、妙見山

 ほんの少し下って登り返すと展望が徐々に開け、北に鉄鈷山や西床尾山が見え始める。Ca500
mくらいからは西方面が拡がり、白い氷ノ山がくっきりと見えてきた。
「すばらしい!」
歓声がこだまする、と言ってもたった二人の声ではあるが・・・。
 高度を上げるとさらによく見えるようになり、撮影モードに・・・。が、しかし・・・
「あれー、デジカメのバッテリーが危ない!」
電池の容量がもう少しあると思っていたが、目盛りは最低を指している。

 
尖った西床尾山 小風呂山頂

 登りきったピークは、小風呂(三等三角点 点名夫婦岩 597.7m)の少し南。20mほど北に頭
をほんの少し出した三角点が埋まっている。きれいな三角点だ。展望はない。夫婦岩というので、岩
でもあるのだろうか、と付近を捜したが、それらしきものは見あたらない。その代わり、近くの木にプレ
ートが針金でくくりつけられている。最近、このようなものがよく見かけられるが、不必要なものが多す
ぎないだろうか。木にくくりつけると、成長に伴って針金が幹に食い込んでいく。
分水界を歩く 大事な杖が・・・

 小風呂を後に再び分水界尾根を歩き始める。尾根が方向を変えるCa580mピーク、Ca530m地
点は、方向を誤らないようにコンパスで確認しながら歩く。387mピークまでは植林の中の急な下り。
下草も生えていない滑りやすい斜面を近くの木に掴まりながら下りていく。
 387mからしばらくはなだらかだが、突然北側が切れ落ち、やせ尾根となる。小峠夜久野町側の
採石場跡である。青垣側の急斜面を慎重にトラバースする。すぐ下を車が大きな音を立てて走ってい
る。
 突然、カラカラという音。島田さん愛用の杖が斜面を滑り落ちたのだ。
 「七種薬師でひろったぼくの分身とも言うべき杖やのに・・。」
島田さんはすぐに探しに下りたが、見つからなかった。
(一週間後、再度捜したが見つけられなかったそうだ。)
分水界は直登だが、、左の斜面を登る 小峠の石仏

 急斜面は滑るので、夜久野町側から小峠に下りる。国道に接しているが、採石する前は、すぐそ
ばの石仏のあるところが峠の入り口だったのではないだろうか。祖母は夜久野町末の生まれだっ
たので、この峠を歩いて実家へ帰っていたと母から聞いたことがある。石仏は道標になっていて、衣
川某の名前が見受けられる。祖母の実家も衣川姓であったことを思い出す。

 夜久野町の方から12時のサイレンが聞こえてくる。お腹が空いてきたが、もう少し先のピークでお
昼することに。しかし、目の前の崖の山を見ると分水界を直登することは難しい。左の斜面なら何と
か登れそうなので、少し遠回りになるが崖下を歩いて急斜面にとりつく。見た目よりかなりの急登で
近くの枝や木の根に掴まりながら四つ這いで登る。空腹の身に、この登りはこたえる。
 ヘロヘロになりながら何とか尾根に到着する。島田さんは尾根の切れ落ちた先端から小峠を覗い
ている。落ちたらケガでは済まないだろう。

 昼食は437mピークの辺りの明るいところと決めずんずん歩くが適当なところがない。結局、437
ピークの少し先でお昼とする。(12:35)
 
 暖かい陽の中で島田さんはざるそばを食べている。もうそんな季節になったんやね。
千原峠の石仏 千原峠
 昼食を終え、433mピークに向けて歩き始める。433mピークは木に囲まれ展望はない。「433m」
と書かれたテープが幹に巻きつけてある。後で「兵庫丹波の山」(慶佐次盛一著)読むと、「朱銀の奥
山」という名であることがわかる。朱銀ということから、鉱山でもあったのだろうか。

 このピークから尾根は南に向きを変えている。しばらく歩くと千原峠である。仕事道なのか尾根に沿
った道を辿ると千原峠のすぐ上に出る。この峠には2年前に島田さんに案内してもらい、夜久野町に
抜ける西側の破線道を下り、東の道を帰ってきたことがある。大きな岩をくりぬいた珍しい隧道の峠で
ある。夜久野町側の石仏には、右ぬかたかや、右すゑ○○○とある。
 以前はなかった林道が夜久野側から峠まで上がってきている。
 隧道を抜けるとここにもお地蔵さんがある。
 時計を見ると2時。夕方から予定があるので、この先進むのをあきらめ、ここから車道に出る。父たぬ
きに迎えを頼み、遠阪峠に向けて歩く。歩道のない車道を車がひっきりなしに通る。今出集落の入り口
で休んでいると父たぬきがやってくる。やれやれ。
 遠阪峠の石碑前に車が停まり、山歩きの格好をした人が支度をしている。車を停め話を聞くと、山南
町の山歩きのグループの方々だった。山の情報を交換し、お別れする。

 次は、遠阪峠から粟鹿峰だが、暑くなると歩けないかもしれない。来冬にお預けかな?


行った日 04 3/28(日)
行った人 やまあそ島田さん、たぬき
2.5万図 矢名瀬