| 石仏道を歩く 古城山〜鷲原寺 |
| 兵庫 生野町 |
| クヌギ林にたたずむ石仏 |
| 貴公子さんたちと昼ヶ岳に行った日、やまあそ島田さんとやまごさんは生野の古城山だった。1 週間後、島田さんに案内していただくことになり、青垣から生野町へ向けて国道429号線を走る。 道幅が拡張されるのか、青垣峠付近の植林が伐採されている。生野町に入るとほとんど下ることな く民家が建っている。軒下には雪が残り、除雪された雪が黒い固まりとなっている。車の高度計は 600mをさしている。 銀山湖に出ると、谷間にミツマタの花が谷一面に拡がっている。夏になるとこの山域にはヒルが多 いらしいが、まだその季節ではないので土の下で暖かくなるのを待っているのだろう。 湖面にはボートを浮かべてバス釣りの若者がルアーを投げている。 |
||||||
|
||||||
| 今回歩く山域も中央分水界の山々である。 約束の場所で島田さんと落ち合い、下山地の鷲原寺に私の車を置き、島田さんの車で口銀谷の びわの丸公園に向かう。国道から入ったところにある石垣に挟まれた峠も中央分水界だという。古 い石垣のたたずまいにこの峠の歴史を感じる。 びわの丸公園には間歩あり、鉄格子の扉で入れないようになっている。がよく見てみると鍵がか かっていない。 「先週はちゃんとかかってたんやけどなあ。」 扉を開けて中をのぞいてみる。二股に分かれているが、狭い穴には入れそうにない。もし入れたら 島田さんはきっと入っていただろうなあ。 山腹をつづらおれに登っていくと古城山、生野城趾に出る。南西には2年前のオフで歩いた高星 山、南正面に反射板の高畑山、その左肩に小畑山と展望がよい。なかなか広い城趾である。山頂 の主郭を中心に大小の曲輪群があるが、これは築城時のものでなく、後に改修されたときのもの であろうと案内板にある。 |
||||||
|
||||||
城跡から北東に歩くと、南側が採石によって大きくえぐられ崖となったところに出る。地形図では 小規模のように記載されているが、崖はほとんど尾根に達し、このまま放っておきとますます崩落 しそうである。高所恐怖症なので足下に細心の注意をはらいながら歩いていく。採石場の向こうは 口銀谷。昭和48年まで操業していた銀山の街だが、今も金属会社の大きな建物が建っている。 |
||||||
|
||||||
| 分水界尾根を少しはずれた611ピークに行ってみる。採石場の東にあるピークだ。枯れた笹が 膝丈ぐらいまでり、ズボンには小さなダニが這っている。しかし、このピークからの展望がすばらし い。 生野の山のことなら右に出るもののない島田さんに山の名前を教えてもらう。もっつい山、大持 山、法道寺山、雲頂山、等々、島田さんのHPではおなじみの山々が連なっている。 「こんないいところがあるのに、来るのはやまあそくらいのものや。」 縦走路から離れているためにあまり人が来ないらしい。途中にぶら下がっていたプレートも611ピ ークにはなかったので、ここには来ていないだろうと島田さんは推察していた。 |
||||||
|
||||||
再び、分水界尾根に戻り、釜床山方面に向けて歩く。ここからNHKのケーブル埋設道なので、非 常に快適な道だ。まるで先月歩いた北摂高岳の巡視路のようだ。こんな道があろうとは想像もつか なかった。気持ちのいい尾根道を歩いていく。途中から東の方へ下っていくケーブル埋設道とわかれ、 さらに尾根道を北へ歩いていく。Ca600mピークを越え、下りかけると北に釜床山が大きく見え、これ からあの尾根を歩くのかな、と思っていると、広い雑木の林に出る。島田さん曰く、「迷いの森」。私も 地形図を持っていたので(コンパスは忘れていた)、確かめながら歩く。どうも、島田さんは人を迷わせ たいらしい。林の隅に小さな池があり、緑の草が生えている。こんなところには蛙の卵があるかも、と 話していると、案の定、ひきがえるの長い卵が池のそばの土の上に産み落とされていた。 |
||||||
|
||||||
| 「ここからちょっと寄り道しよか。」 「へ?」 「内山寺というお寺の跡がこの下にあるんやけど・・。」 「だいぶん下りるの?」 「この辺やから、それほど下りへんけど。」ということで、内山寺跡に寄り道することに・・・。 地形図をみると、奧銀谷に下りる破線がある。この道の途中に寺跡はあるらしい。島田さんの正 確な人間GPSのおかげで石仏のある破線の道を見つけることができた。その道は、内山寺から鷲 原寺に通じ、昔は石仏道として往来があったらしい。 植林を下り、平坦地に出ると、3体の石仏と首のない弘法大師さんが静かに迎えてくれた。島田 さんによると、石仏道にある弘法大師さんはすべて首がないらしい。誰かが故意に落としたのでは ないかという。石仏の後ろを見ると丸い石が転がっている。「もしや」と拾い上げると、弘法大師さん のお顔だった。苔をぬぐい去り、置いてみるとぴったり。首から上が戻ってきて弘法大師さんも喜ん でおられるかな? |
||||||
|
||||||
| 石仏を過ぎると明るく開けた内山寺跡。池や残された石垣、礎石から想像すると、当時は相当大 きなお寺だったのだろう。庫裏があったとおぼしきところには、梅の古木が満開の花をつけている。 訪れる人がなくなってもこうして毎年花を咲かせているのだろう。茶の木は延び放題で野生に戻ろう としている。 昭和29年に廃寺となったようだが、それまでも無住であったらしい。残された墓石はいつ頃のもの なのだろうか。お参りする人も今はないだろうな。 暖かな寺跡でお昼ごはんを食べ、ここから石仏道を歩く。植林のなかたて穴や大きな穴の跡があ る。島田さんによると、鉱山の縦坑跡のようだ。 石仏道は、分水界尾根(523mピーク)の東側山腹を巻いている。しばらく歩くと、顔が3面のかわ いい馬頭観音が現れる。何ともユーモラスな石仏で、島田さんもいたくお気に入り。 見上げると分水界尾根がすぐ上にあり、谷にはミツマタの花が満開。春やねえ。 |
||||||
|
||||||
内山寺跡から30分で石仏道は523mピークと釜床山の鞍部(分水界尾根)と合流する。少しだけ 尾根を歩くが、石仏道は再び尾根と分かれ、釜床山の西側山腹を歩くことになる。振り返ると南東側 が開け、古城山で見た高畑山や小畑山が遠ざかっていく。 石仏道は尾根を歩くより楽だが、ぐねぐねと巻いているので時間がかかる。急な斜面では道も狭く、 ガレ場ではこのまま放置しておくと、いつか道はなくなってしまうかもしれない。しかし、雑木の中の 道はとてもいい。そこに石仏が我々を待っているようにちょこんと座っている。 「ほんまにええなあ。」 「例のクヌギ林は、この37倍ええで。」 すばらしいクヌギの林があるとは聞いているが、どれほどのものなのか全く想像がつかない。 |
||||||
|
||||||
やがて石仏道は西側斜面から再び尾根に出る。西に巻き道があるがそのまま尾根を歩き鞍部に 出る。西斜面から巻き道が続いているようだが、かなり急斜面で途中で歩けないところがあったか もしれないね。と話す。そこに北を指さした道標があり、同じものが上岩津の道沿いにもあった。そこ で、「この字をよく覚えておいて。」と島田さんが言った訳がわかった。道標には「くおんのん道」とあ り、岩屋観音への道を指しているようだ。 |
||||||
|
||||||
再び石仏道に合流し、クヌギの林の中を歩く。 Ca550mピークから分水界尾根は東に向かい、石仏道と離れ、526mピークの東を通る。石仏 道とピークの間に丸いピークがあり、展望抜群というので、ここに寄ってみる。 島田さんのことば通り、360度の展望!北には岩屋観音、その向こうに行者岳が顔を出している。 「無線せーへんの?」という島田さんのことばに、今日は無線機のスイッチを切ったままだったこと に気づく。CQを出すと、千ヶ峰のMXF石田さんからコールがある。バックに島田さんのオカリナが流 れる中でMXFさんとしばらく交信する。オカリナの音(ね)が周りの山々にこだます静かなピークだ。 |
||||||
|
||||||
このピークの下が今日のお薦めポイントのクヌギ林。いよいよご対面だ。石仏道に戻らず、直接ク ヌギの谷に下っていく。 そのすばらしさに声も出ない。(上の写真) 下を石仏道がとおり、島田さんが指さす方に石仏が一体。なんとも絵になる光景。この林だけ時間 が止まっているようだ。こんなにすばらしいクヌギの林はいつまでも残してほしいものだ。 |
||||||
|
||||||
| 心を残しながら、石仏道を下りる。地形図の破線の一つ東の谷を下りていく。最近間伐がされたよ うで、伐採された木がそろえてある。ミツマタも咲いている。最後の石仏が現れると目的地の鷲原寺 はすぐ。駐車場に置いた車でびわの丸公園に戻る。 びわの丸公園で帰り支度をしていると、下りてくる人がある。ザックを背負っているので古城山に行 ってきたのかな、と思っていると、島田さんのお知り合いで、萬屋さんだった。初対面のご挨拶をし、 しばらくお話をする。 内山寺、石仏道、クヌギ林と見所の多いところだった。またいつか歩いてみたい。 やまあそ島田さん、すばらしい山を案内していただきありがとう(^^)/ |
| 行った日 | 04 3/27 (土) |
| 行った人 | やまあそ島田さん、たぬき |
| 山行タイム | びわの丸公園9:30〜古城山10:15ー10:23〜 内山寺跡11:50ー12:30〜分水界尾根13:00〜 ピーク |
| 2.5万図 | 但馬新井 |