兵庫丹波 蛇山(おろち山)−358m−
 
【行った人】 丹波のたぬき夫婦      【行った日】2000年2月5日(土)
【天 気】  快晴            【2.5万図】丹波和田
【山行時間】
      和田小(13:05)〜南曲輪跡(13:28)〜下知殿跡(13:30)〜
      頂上・天守台跡(13:40-13:50)〜307mピーク(14:10)〜
      分岐のあるピーク(14:30)〜応地坂(14:38)〜
      坂尻集落(14:48)〜和田小(15:30)

 快晴の土曜日、仕事を終え、父たぬきと待ち合わせて山南町に急ぐ。
今日の山は氷上郡山南町、蛇山(おろちやま)。へびやま、じゃざんともいわれている。
山南町和田からのぼり、北へ縦走、応地(おうち)坂を西へ下るコースである。

 東側の山南町応地では、1月15日に「蛇ない」という行事が行われる。
縄で大きな蛇をない、家々をまわるというもので、昔加古川の氾濫を鎮めるために
始まったらしい。今も五穀豊穣を願い、人々の手で守り続けられている。
「おろち」は、この「おうち」からきたという説もある。

 母たぬきの車を下山地近くの消防詰め所に置かせていただく。
道を挟んだところに県指定の薬師堂がある。
父たぬきの車で和田小へ。職員室へ駐車のことわりを言いに行くが、1時近くに
なっていたので誰もおられない。

 和田小からは2つのルートがあると聞いていたが、北西の尾根にとりつくコースを
選ぶ。ほかに、新縁寺コース、稲荷山縦走コースがあるが、時間がないので最短と
思われるコースをとる。因みに、多田繁次氏は新縁寺から(「なつかしの山やま」)、
慶佐次氏は稲荷山コース(「兵庫丹波の山」)を登られている。

 尾根道は踏み跡程度であるが、所々テープもつけられ、少し藪っぽいところもある
ものの歩けないということはない。
 およそ25分で南曲輪跡にでる。和田小・新縁寺からの道が合流する。
これが本来の登山道であろう。2分で下知殿曲輪。
堀切と堀井戸跡を越え、ロープの設置された急坂を登れば頂上である。

 頂上には、たくさんの石垣。そして、猪の掘り起こしの跡。
人間がいなくなった山上に、今は猪が住んでいるらしい。
 蛇山は岩尾城趾ともいわれ、永正13年(1518)和田日向守築城、
天正7年(1578)、明智光秀の丹波攻めで落城、慶長元年(1596)廃城と
なる。氷上郡内では黒井城跡に並ぶ貴重な山城遺跡である。
氷上郡志によると、「・・此は城塞と云はむより、むしろ邸趾といふを當れりとす」
とある。砦としてだけでなく、実際に住居として使われていたというのだ。
  
 頂上からは、北方面以外展望が開け、兵庫丹波氷上の山々が望める。
千が峰もちょこっと顔を覗かせている。
南正面には、「サザエさん」の波平さんの頭のような石金山。
高圧線鉄塔建設の荷揚げヘリの音が山々にこだまする。  
 
 山頂北側に「下町、稲荷山登山口縦走コース、2080m」の表示。赤い布が
導く。ほんの数分で縦走コースと分かれ、応地坂を目指す。
赤松と雑木の気持ちのよい尾根道である。
東側には石戸山、そして佐治川(加古川)がゆったりと流れる。
 尾根道のウラジロに泥が付いている。こんな所に何故泥が?
この疑問は、しばらく歩くと解けた。
猪のぬた場が2カ所あり、泥を体にいっぱい付けた猪が走り回っているのだ。

 307mのピークから2つ目のピークにでる。
正面には電波塔が林立する篠が峰。その前衛の山々には鉄塔工事で削られた山肌が
見える。視界に入るだけでも5カ所。なんでも阪神工業地帯の電力を補うために、
関西電力が中国電力智頭発電所から購入するためのものらしい。

 眼下には坂尻集落も見えてきた。
「私の車はみえるかなあ・・。 あっ! 車のキー、お父さんの車のダッシュボー
ドの上に置いたまま、持ってくるのわすれたあ! 今までキーつかへんかったあ。」
「こんな時に洒落ゆうてる場合とちがうやろ。しょうがない、和田小まで歩こう。」
母たぬきのドジにも寛容な父たぬきである。
「すみません、これからキーつけます。」

 この分岐のあるピークから赤い布をたどり、10分で応地坂。
「南無阿弥陀仏」の石碑がむかえてくれる。
坂尻側には、祠の中にお地蔵様が鎮座し、早春の淡い陽ざしにつつまれている。
キーを忘れて幾分滅入っていた心がなごむ。(お地蔵さんありがとう)
暖かそうな毛糸の帽子と、カーネーション、たばこまでが供えてある。
坂尻の方々がここまで来られるのであろう。
 
 露岩が1カ所あるが、あとは快適な下り道。峠から10分足らずで里に下る。
神姫バスが1台待機しているが、発車は、15:38。1時間以上ある。
 天気もいいので歩いていても気持ちがいい。
消防詰め所には愛車が待っているが、知らん顔して通り過ぎる。
 周りの畑には、お正月などに使われる若松が多く栽培されている。
また薬草の産地としても有名であり、オウレンなども見られる。
 岩屋山が我々の背後から見送ってくれる。

 およそ40分で、和田小到着。
「小学生ってえらいなあ、暑い日も寒い日も雨の日もどんな日も、こんなに長い
距離を歩いて通っているんだから。」
「そういえば、島田さんも石金山からの帰り、夏の暑い日に舗装路を歩いておら
れたねえ。」
山歩きの40分はどうってことないが、アスファルト道はこたえる。
 真っ青な空を見上げると、岩尾城趾の遙か上空をジェット機が飛んでいく。
時の流れに思いを馳せながら、今日の山行を終える。


〔参考文献〕 「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま」 多田繁次 著 
       「兵庫丹波の山(上)」          慶佐次盛一 著 
  
       「氷上郡志」                山南町商工会ホームページ