丹波のたぬき、立山へ行く

           
 
 行った日:7/31,8/1     行った人:丹波のたぬき夫婦(KF会のみなさん)
 
 コ ー ス :室堂(雷鳥荘)→一の越→雄山(3003m)→大汝山(3015m)
          →富士の折立→大走りコース(下山)→雷鳥沢→雷鳥荘前→バスターミナル

7月31日 

  今年もKF会(仮称)の行事に参加させていただく。昨年も立山だったが、暴風雨で一の越までしか行けなかった。一昨年もこの会は富士山で雨に出会っておられる。今年こそは、という願いが届くかどうか・・。

  朝七時に丹波を出発。バスで北陸に向かう。バスは二階だての展望車。たぬき夫婦はあつかましくも最前列に座る。天気は上々。今年は期待できそうである。父たぬきは早々とビールをよばれている。

  北陸道、尼御前S.Aをすぎたあたり、車窓右手に白山。「こんなにきれいに白山が見えたのははじめて!」と感嘆の声をあげる母たぬき。そういえば、かねちゃんは先週、白山へ登られたようだけど天気はどうだったかな?(まさか、この日も三の峰へ来ておられたとは・・・。) 見えなくなるまでいつまでも白山に見入っていた。金沢までその姿が確認でき、同時に前方には立山もうっすらと見えはじめた。

 富山にはいると、立山連邦が眼前にくっきりとした姿を現す。薬師岳から毛勝山まで雲一つかかっていない。こんな景色をいつも見られる富山の人はええなあ。

 室堂へ入る。バスターミナルから30分ほどの雷鳥荘が今日のお宿。山小屋とはいうものの、温泉あり、二段ベッドありで、快適そのものである。

 夜は、満天の星と富山の夜景。遙か遠くのほうに花火が上がっている。上がっているといっても、花火も山の上から見ると下の方に小さく見える。人工衛星も下界で見るより明るく見える。星はやっぱり山の上で見るのが一番。丹波の空も最近は明るくなってきたものねえ。

 

8月1日 

 朝4時頃目が覚める。どこへ行ってもこの時間になると目が開く。もう出発している人たちがいる。山の朝は早い。剣、五色ヶ原などへいくのかなあ?山荘前で朝食前のティータイム。清冽な空気をおなかいっぱい吸う母たぬき。昨日登った人によると、富士山がくっきり見えたということである。山荘の人からも、今日の天気は大丈夫、と太鼓判を押してもらった。

 雷鳥沢の方から大きなリュックを背負った初老のご夫婦があがってこられた。なんでも1週間分の食料を用意し、雷鳥沢を起点に剣岳、奥大日岳に登ってこられたそうだ。お元気である。たぬき夫婦はあの歳になってそんなことができるかどうか。きっと、穴のなかでお茶でも飲みながら、山のテレビでも見ていることだろう。   

 同じグループのご婦人が、突如オカリナを取り出された。曲は「たなばたさま」。山にはオカリナの音色がよく似合う。「山であそぼっ」の島田さんを思い出す。

 7時10分 出発。雲一つない快晴。父たぬきは、日よけに大峰山行者用の笠をかぶる。最近はこれでびしっと(?)決めている。母たぬきはといえば、タオルをかぶりその上に帽子、そしてサングラスという田の草取りスタイルである。日本上空のオゾンは1割少なくなっているから紫外線が強い、と訳の分からないことを言っている。

 室堂山荘まで行くと、ターミナルの方からやって来る人と合流する。ここから上りになる。去年はなかった雪渓を歩く。道の脇には、コバイケイソウ、チングルマ、ヨツバシオガマ、エゾシオガマ、ウサギギクなどが歓迎の挨拶をしてくれる。少し離れた岩の上にはイワヒバリ。こんなにいい天気では、雷鳥も姿を現さないだろう。

        

 「○○旅行社」と書いた旗を持った団体を追い越す。かなりご高齢の方も多い。だいじょうぶかなあ?
祓堂をすぎたあたりからのぼりがきつくなる。空気が薄い。脇で休んでいる人が目立つ。

 一の越到着。展望が広がる。父たぬきが「富士山!」と指さす。雲の上に台形の富士山が浮かぶ。周りの人にも教える。だれも、もっと尖った富士山を想像していたようだ。富士山の左には八ヶ岳、右には南アルプス、もっと右には槍、穂高、そして笠ヶ岳。槍もいいが、笠のスキッとした姿が好きだ。

 

 さて、いよいよ雄山への登りである。どこを歩いても登れそうだが岩のゴロゴロした急登だ。二の越、三の越とゆっくり登っていく。三の越をすぎたあたりで、父たぬきのペースが落ちる。いつもの太股の痛みである。ストレッチが足らなかったのかな?
しんどいけれどすばらしい景色が疲れを半減させてくれる。眼下には黒部ダムも見えはじめた。    

   人、ひと、ヒトの雄山山頂  
 
   実際はもっときれいな色の黒部湖 

 やっと雄山山頂。たいへんな人である。雄山神社へは順番待ちの列ができている。待つ時間が惜しいので、少し休んで大汝山へ。がれた道だが、室堂から大日岳、富山湾、能登半島とすばらしい展望で少しも苦にならない。30分も歩くと大汝山である。

        

 大汝山からは後立山連邦の山々がすぐ目の前に見える。鹿島槍から白馬のきりっとした稜線。双眼鏡で覗くと白馬山荘が大きく見える。今日もたくさんの人たちが大雪渓からこの山荘へ入ることだろう。下には緑色濃い黒部湖。雄山までは人が多いが、こちらの方は意外に人が少ない。

      
大汝山に立つ完全UVカットの母たぬき

  大峰山行者笠の父たぬき

 山頂で無線をしている人がいる。手作りアンテナらしい。父たぬきが聞いていると1200MHZのようである。マニアなのであろう。
 それでは、と山頂直下のなだらかなところでCQを出してみる。父たぬきが2局したところで、母たぬきがCQを出したいと言い出す。「CQ、CQ、・・・立山山頂です。・・」の呼びかけに早速応答があった。5局つながる。時間があればもっとできただろうが、集合の時間も気に掛かる。先ほどの1200MHZのおにいさんも店じまいしておりてきた。私が気になったらしい。その人は富山の人で、大汝山まで4時間で来られるという。重いリグを持ってあがられた割には交信が少ないそうである。

 無線で遊んでいる間に後からの人たちが追いついてきた。富士の折立でお昼ご飯。食べているとCQが聞こえてくる。「応えねば・・。」と、お箸を置いて応答する母たぬき。福島市の人だった。もう1局そのお友達ともつながる。食べる、しゃべる、景色を見る、と忙しい母たぬきである。剣岳が静かに見守っている。

「さあ、そろそろおりよか。」グループの年長の方の掛け声で腰をあげる。ここからが、また急坂である。登るとなるとなかなかだろう。石車に乗らないよう慎重に歩を進める。なんといっても下りの方が事故が多いのだから。少しおりたところでうしろを見る。その急なこと。

      
富士の折立から望む剣岳

  富士の折立からのくだり

 しばらく行くと真砂乗越の緩やかな稜線にでる。気象環境のきびしいこんなところに、チシマギキョウが咲いている。いつまで見ていても見飽きない。 
 60歳くらいのご婦人と会う。単独で剣や奥大日に行ってこられたというのである。疲れも見せず、田の草とりスタイルのおばさんにもにこやかにお話ししてくださった。

           

 2860mのピークの手前から大走りコースを下山する。下から見たときは簡単に下りられそうだったが、いざ下り始めるとその長いことながいこと。下りてもおりても雷鳥沢にたどり着かない。それも途中からは岩ばかりのがれ場。
 やっとの思いで雷鳥沢に下りる。ハクサンイチゲの群落が疲れた体と心を癒してくれる。クルマユリ、ハクサンフウロを撮影している人がいる。父たぬきも俄カメラマンに変身。

          

 テント場にたどり着き、雪解け水を飲む。そのおいしかったこと。
 時計を見ると午後1時過ぎ、バスの集合は2時半である。テント場から雷鳥荘までの石とコンクリートの急坂を見上げる。ここを上がらなければ帰れないのである。はじめは一緒に歩いていた、たぬき夫婦であるが、雷鳥荘直前の急坂で父たぬきはバテてしまう。元気な母たぬきは一人でターミナルまで歩く。振り返ると、父たぬきは他の人たちとともに雷鳥荘の前で一休み。

 2時15分、母たぬき、バスに到着。先にバスに帰っていた人たちが暖かく迎えてくれる。父たぬきは少し後に帰ってくる。

 全山行時間、7時間あまり。しっかりとストレッチをしてクールダウン。不安のある膝も機嫌を悪くすることもなかった。父たぬきは、「立山は石生の向山に毛が生えたぐらいの山、と少し見くびりすぎていた」と反省。だれもが行く山だからといって、装備や気持ちがいい加減ではいけない、ということを改めて感じた。

 また、今回のコースはもっとも一般的なものであるが、山は一日いちにち表情を変える。天候やメンバーなど、そのときの状況でもずいぶん違うものである。すばらしい天候とKF会のみなさんのおかげで楽しい山行となった。

 見上げると立山はもうガスのなかに姿を隠していた。