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春日町黒井芝町付近からの黒井城跡 |
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黒井城趾にはこれまで何度となく登っている。毎日登っている人もあると聞く。いろいろなコースが
あるが、興禅寺と黒井小学校の裏手から登るのが一般的である。 |
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登山口 |
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三段曲輪跡 |
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車を登山口の駐車場に置く。この登山口からは二つの登山口があるが、今回は右手にある階段
から登っていく。登り始めの階段はしんどい。早速ヤブ蚊が挨拶に来る。階段を登り切ると、立派な
猪柵の扉。昔はこんな柵はなかったが、待ちに近いこんなところでも猪や鹿が出てくるのだろう。
柵を開けて入り、少し歩くと、「本丸まで700m」の看板。このあと100m毎に立っている。視界が
開け、眼下に黒井の町が一望できる。
その少し上が三段曲輪跡。なるほど平坦地が何段かある。 |
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本丸まであと600m |
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太鼓の段 |
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すぐに本丸まで600m地点。この辺りも平坦なので何かの跡かもしれない。400m地点まで来る
と右に細い踏み跡があり、太鼓の段とある。ちょっと行ってみよう。1分ほどで刈り払われた平坦な
太鼓の段。
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石踏の段 |
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どんぐりさん |
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来た道を戻り、100mほど行くと、石踏みの段に出る。ここには通称赤門と呼ばれる建物があり
麓からもよく見える。またもう一つの登山道もここで合流しているので、景色を楽しみながら一休み
するところでもある。今日はちょっと立ち寄っただけで本丸(山頂)をめざす。
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東曲輪跡 |
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三ノ丸跡 |
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石踏の段からつづらおれの道を10分ほど登ると山頂である。東曲輪跡、三の丸跡を通り、石段
を登ると二の丸、そして一段高いところが本丸である。
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二の丸と本丸 |
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正面に向山連山 |
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平日なので山頂には誰もいない。南側には屏風のように向山。田んぼは刈り取りが終わり、ひこ
ばえが出始めている。霞んで遠望がきかず、篠ヶ峰の輪郭がなんとか確認できるくらいだ。
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五大山〜五台山の山並み(手前千丈寺山) |
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東出丸跡 |
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五大山〜五台山の稜線も霞み、千丈寺山の尖りが大きい。低山だがさすがに山頂は風が通っ
て涼しい。汗もようやく引いてきたので、そろそろ下山することに。
下山は、以前下りた途中まで多田へのコースを歩き、途中から地形図の破線を芝町へ下りる予
定である。
山頂から少し下ると多田への標識がある。急な道を下ると平坦になり、東出丸跡の看板が立っ
ている。 |
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木の階段 |
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右を行く左は多田方面 |
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東出丸跡から木の階段があったり歩きやすい。春にはミツバツツジの咲く道。3分ほどで多田と
芝町への分岐のピークに着く。多田への道は整備されているが、芝町への道はけものみち程度の
踏み跡。 |
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どこに道があるの? |
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下りてきた池 |
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クモの巣を払いながら藪をかき分け尾根をまっすぐ下りていく。なだらかになったところには明
瞭な道がある。ただ歩かれていないので倒木や小さな枝が行く手を阻む。とにかくクモの巣が
多い。地図を見ると、半島の先端のようなピークの手前から破線の道が池へと下りている。捜
すと1mほどの幅の道が山腹を下っている。少し整備すればとてもいい道なんだが・・。
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渓水窯さんに寄る |
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興禅寺 |
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下りたところは池の東側。堰堤から階段を下りたところにログハウスのようなお家が建っている。
外に「渓水」と書かれた看板がある。家の中には焼き物が展示してある。人の気配がするのでち
ょっとおじゃますることに。女性が工房で作業しておられる。靴を脱いでお家の中に入らせていた
だき、作品を見せていただく。棚におけないものは古い箪笥の中に入れてある。清水で絵付けを
されていたとか。ご夫婦で焼いておられ、東京でも個展をされるようだ。暖かみのある素敵な器ば
かり。赤絵湯呑みとブルーの模様のカップを買い求める。山を下りたところでこんな出会いがある
とうれしいものだ。
車まで興禅寺のそばを歩いて帰る。興禅寺は徳川三代将軍家光の乳母、春日局の生誕地と言
われている。大河ドラマの頃には大勢の見学があり、今でもときどき来られるようだ。
黒井城趾は何度も登っているが、そのたびに新しい発見がある。
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