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上根来からの百里ヶ岳(中央奧のピーク) |
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3連休の2日間は仕事だったので、最終日はどこか登ろうかと天気予報を見ると、福井嶺南は
なんとか持ちそうである。
舞鶴若狭道から27号線を走り、小浜から多田ヶ岳の東を遠敷川に沿って南へ走る。 |
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鵜の瀬 |
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木地山峠への登山口 |
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この流域には、奈良の二月堂へのお水送りで有名な鵜の瀬がある。下根来に入ると、道沿いに
鳥居がある。「鵜の瀬」である。鳥居をくぐって川に下りると、清冽な水が流れている。この水は百
里ヶ岳を源流にして流れているのだ。
鵜の瀬をあとに、登山口の上根来へ向かう。鵜の瀬までは広い道だが、その後は狭くなり、対
向車と出会ったらすれ違いができないほど。
上根来の集落は峠道のような道を上がっていったところにあった。静かな村だ。ゆっくり走ってい
ると木地山峠登山口の標識が道路沿いに立っている。車を少し先のお墓の近くに置かせてもらう。
百里ヶ岳が顔を覗かせている。標高は300mを越えているはずだが、車を降りるととても暑い。
準備をして木地山峠への登山口から登り始める。初老の女性がおられたので、道を尋ねると親
切に教えてくださった。お墓の数が家の数より多そうなので戸数を尋ねると9軒。昔はもっと多か
ったのだろうが・・・。登山口の道標は「小浜山の会」が設置されたもので、このあとも要所々々で
山の会の道標にお世話になる。
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沢沿いを歩く |
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植林の中を歩く |
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始めは、耕作されなくなった田んぼのそばを通り、植林の中に入る。スギの根元は枝で囲まれれ
いる。鹿の害から守るためだろうか?
道標や赤テープがたくさんあり、迷う心配はない。谷沿いをテープに従って歩いていく。ちょっと多
すぎる感もあるが、積雪期にはこれくらい必要なのかもしれない。迷いやすいのは谷を高巻きした
道からもう一段上の道へ登るところだろうが、ここも今は問題なく歩ける。
道は山腹から谷に下りる。沢沿いに歩くと涼しい。「沢登りの人の気持ちがわかるね。」
谷沿いの道は崩れやすいので狭くなっているところもあるので滑らないように歩く。
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実りの秋 |
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よく歩かれた道 |
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沢から離れやがて尾根にとりつく。よく掘れた道だ。近江坂もこんな道だったが、昔はよく歩かれた
のだろう。道がいいので歩行が捗る。父たぬきは快調に歩いていくが、私は前日の仕事の疲れか、
少々体が重い。(あとでわかったことだが、実は体重が増えていた。)
登山道の真ん中に栗が落ちている。今年は豊作のようだ。一つおみやげに、と思ったが、山の動物
たちの大切な食料だ、置いておくとしよう。
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山腹の道を歩く |
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沢を渡る |
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右の尾根と合流したところに木地山峠への道標がある。ここから尾根を離れ山腹を歩く。なんと
も気持ちがいい。沢を渡り、登り返す。この辺りはとてもいい雰囲気のところ。新緑や黄葉の頃は
もっとすばらしいにちがいない。
何度も深呼吸し、山の空気を味いながら歩いていく。
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木地山峠 |
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お地蔵様 |
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しばらく歩くと、木地山峠。祠の中にお地蔵様。台風の強風で屋根の半分が壊れている。若狭
駒ヶ岳の下山中に出会った女性は木地山峠から歩いてきたと言っていたが、駒ヶ岳への道標が
木にくくりつけてある。こちらのコースもそのうち歩いてみたいね。
峠を滋賀県側に下ると木地山。我々は南の百里ヶ岳へ向かう。 |
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県境尾根を歩く |
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山頂直下はブナの森 |
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ここから百里ヶ岳への尾根は福井・滋賀県境であり、中央分水界でもある。
「ええ尾根やねえ。」
雲行きがちょっとあやしいのでのんびりもできないが、それほど高低差もなく、木々の間を歩くのは
心地よい。
山頂に近くなるとブナが多くなる。これまでは植林がところどころにあったが、山頂付近はまだ手
つかずの森。やっぱりブナはいいなあ。
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一等三角点 |
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根来坂峠へ向かう |
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山頂直下は少し急な登り。一気に登りきると、一等三角点が迎えてくれる。山頂には先着のグ
ループが2つ。一つは大きなザックを背負った男性一人女性三人。ちょうど出発されるところだっ
た。なんと佐々里峠からテント泊をしながらここまで来られたという。このあと木地山峠から木地
山へ下られるという。私よりも年長の方ばかりだが、まあなんともお元気な方たち。私も負けては
いられないなあ。(^^)
もう一つのグループは男性ばかり四人。これから昼食のようである。我々も木陰でお弁当。おに
ぎりとサンドイッチ、それに保冷パックに入れてきた野菜ジュース。男性グループは、フライパンで
レトルトのお好み焼き、それに生の鶏肉を焼いている。それを肴にビールでいっぱい。いい臭いが
こちらへやってくる。(^^)
父たぬきは、食べ終わると自作のコーリニアアンテナを木にくくりつけ、早速無線でCQを出して
いる。頭上をアサギマダラがフワフワと飛んでいく。どこに行くのかな?と行く手を目で追うと、少
し離れた木の回りに乱舞するアサギマダラの群れ。遠くて何の木か不明だが、ひらひらと飛び交
っている。南への移動のために蜜を吸っているのかな?
昔は百里遠方まで望めたというが、今日は霞んで五里ほどの展望か。天気がよければ白山も
望めるそうだが・・・。
西の空に黒い雲が見える。天気が危ぶまれるので、「そろそろ下山しようかな。」
山頂からしばらくは急な下りである。トラロープもある。石車に乗らないように下りていく。
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百里新道との分岐 |
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根来坂峠(鯖街道) |
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勾配がゆるみ、ピークを一つ越えて登り返すと、たくさんの道標がある。南東は小入谷峠・南谷
(百里新道)への道。こちらの尾根もよさそうだ。
根来坂峠へは、分岐のピークからいったん下り、Ca870へ登り返す。この登りが今日のコース
ではいちばんきつい。
Ca870を下ると、根来坂峠。広い峠には新しいお地蔵様が手厚く祀ってある。一段上には石
碑がある。この峠は日本海の鯖を京都へ運んだ鯖街道である。日本海の魚を背負って峠を越え
帰りは京都の物資や文化がこの峠を越えて小浜へもたらされたのだろう。今は登山者の憩いの
峠となっているようだ。
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峠から上根来へ鯖街道を歩く |
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よく歩かれた道 |
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道標に従い、鯖街道を上根来へ向かう。右にどっしりとした百里ヶ岳の姿が木の間から見える。
つい先ほどまでいたのが嘘のよう。
こちらもぶなの森。鯖街道は871mピークを巻く道から尾根へと続く。尾根の道は深く掘れ、昔
の姿をそのまま残している。足下にはトクワカソウの群落。春にはたくさんの花が見られそう。オ
オイワカガミの葉も元気いっぱいだ。
尾根を下りかけると左下に林道が見える。福井・滋賀県を結ぶ林道である。 |
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池の地蔵 |
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林道から再び鯖街道へ |
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植林に囲まれた少し広いところに祠が見える。ここが池の地蔵。きれいなよだれかけをしておられ
る。根来坂峠のものと同じように見えるが、こちらのはそれほど新しくはない。すぐそばに井戸なの
か池なのか、蓋がしてあり、ひもの付いたバケツが置いてある。KTCと書いてある。京都トライアス
ロンクラブの略のようだ。父たぬきが中を覗いてみるが、とても飲めそうな水ではないと言う。以前
は清い水が湧いていたのであろうか。ここで喉を潤し、京都をめざして歩いて行ったんだろう。
池の地蔵から708ピーク手前の鞍部まで来ると、鯖街道は林道に下りたつ。200mほど林道を
歩くと、ふたたび林道から離れる。しかし、すぐ上を林道が走っているので、空き缶などのゴミがと
ても多い。 |
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マユミ |
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ヤマボウシの実 |
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ゴミばかりが目に付き、少し嫌な気分になっていると、目の前にマユミがぶら下がっている。イヤリ
ングみたいで可愛い。丸いヤマボウシの実も赤く熟している。
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林道から上根来を眺める |
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林道から鯖街道へ |
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しばらく歩くと再び林道に出る。林道の山側に鯖街道の道標があるが、矢印の方向が反対である。
道標を正しく置き直し、少しだけ林道を歩く。眼下に上根来の村と畜産団地の赤い屋根。ここから林
道は尾根の東側に廻りこみ、谷に下りるようになっている。我々は再び鯖街道の道標に従って尾根
に続く街道を歩く。
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歩きやすい道 |
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植林になったら登山口は近い |
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ここからの鯖街道は自然林の中のすばらしい道。何度も立ち止まり、木々を見上げる。
鯖街道は歩きやすいように尾根をまき、平坦な植林地に出る。倒木は除去され、歩きやすいよ
うに整備されているのでありがたい。
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登山口に出る |
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畜産団地跡と歩いた山々 |
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木の間から畜産団地の屋根が見え隠れすると登山口も近い。林道が大きくカーブしていると
ころが鯖街道の入り口。魚の看板が立っている。
ここから林道を歩いて上根来まで戻る。畜産団地は、現在は使用されていないようだ。道沿
いに石仏を見たりしながら車に無事到着。久しぶりによく歩いた。振り返ると百里ヶ岳が顔を
覗かせている。
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今は「小浜山の会」の山の家となっている |
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中を覗くと・・・ |
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帰路、上根来から下っていると小さな学校がある。廃校のようだ。車を停めて近づくと「小浜
山の会」とある。ガラス越しに覗いてみると、交通安全のポスターや交通標識が貼ってある。
子どもたちの声が聞こえてきそうだ。今は山の会の「山の家」として使われているようで、登山
靴や洗濯機が見える。広い板間には卓球台も・・・。いつまで学校として使われていたんだろ
う?
百里ヶ岳、いい山だったね。こんどは、新緑や黄葉、雪の頃に歩いてみたい。
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