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井中から望む安全山 |
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最近、井中から穴地蔵への道が整備されたという。そして、その途中には寺跡や石仏も
残っているらしい。これはぜひ歩いて見ないとね。それに穴地蔵から安全山への道も歩い
てみたかったので、井中を中心にして周回してみる。
穴地蔵は、昨年、上新庄から水山の途中で見ている。
やまあそさんが丹波の山へ予定しているというので、このコースを一緒に歩くことに。それ
になんといっても、石仏と言えばやまあそさんである。
集合場所のカントリーエレベーターに着くと、男性が二人、話しておられる。寺跡のことを
尋ねると、道を詳しく教えてくださる。軽トラで通りかかった方もわざわざ我々の前を走って
道を案内してくださった。
教えていただいたとおり、真新しい案内標識が立っている。車を近くに停めさせてもらい、
準備をして歩き始める。安全山がとても近い。反対側から見ると、同じ山でも違った表情を
しているね。
車を停めたところからもうすこし奥に進むと徳昌寺。今日はここを集合場所に、自然の会
が穴地蔵へ歩かれることになっている。集合時刻にはまだ早いが、早や集まってきておら
れる。
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十九山古道登山口 |
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案内板 |
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「十九山古道 穴地蔵まで90分」という立派な案内標識にしたがって農道を歩く。すぐに
植林になり、登山口の標識と古いお墓がある。これが丹波志にある「今龍寺」の墓跡だろう。
「十九山登山口案内板」
十九山は達身寺を抱く山で、今寺谷から登る道端に106m毎に18体の石地蔵
があり、因幡幸助の名が刻まれている。上新庄から達身寺に至る。
登山口入り口には、今瀧寺墳墓数十基が残っている。また、甲谷の背面山上に
穴地蔵の岩窟があり、四国霊場立江○からの分身「子授け地蔵」が祀られてい
る。春には相当のお参りの人で賑わったと古書に記されている。
来るときに出会った男性は、「今寺跡」と言われていた。案内板には「今瀧寺」、丹波志に
は「今龍寺」。どれも同じお寺を指すものだろうが、「今寺谷」という名称から、それに因んで
今寺と呼んだのかもしれない。
井中の古老は、今寺のお祭りに行き、みかんをもらって帰っていたそうだ。ときの流れの中
で今寺は姿を消したが、人々の記憶の中にはちゃんと残っている。
穴地蔵までの道は、「十九山古道の会」という地元のグループが整備されていて、将来は
「氷上西側歴史・文化、自然尾根ルート」という長大な計画を持っておられるようだ。
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お墓 |
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今瀧寺跡 |
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すぐ上には石垣のある寺跡。石垣や池のあとのようなところも残り、独特の雰囲気がある。
ちょうど弘浪山にある高山寺跡とよく似た雰囲気。すぐそばには、案内するようにお地蔵さま
が立っている。
案内板にあるように18体の石仏に出会えるのだろうか。
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道にはお地蔵様が静かにたたずむ |
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古道を歩く |
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古道には、焼き杉の立派な案内標識がところどころに設置してあるし、布紐もたくさんくくりつけら
れ、迷う心配はない。しばらく歩くと、「九十九折谷」。谷から離れて、つづらおれの道になる。それ
も長く続かず、自然林の中の気持ちのよい道。お地蔵様が静かにたたずんでいる。“106m毎に”
とあったが、すでに無くなったのか間隔が長い。それに順番も入れ替わっている。やまあそさんによ
ると、里に持って下りたりすることもあるようだ。植林の中では土や葉に埋もれたものがあるかもしれ
ない。
支尾根にでると「トイレ」という標識があり、少し奧にブルーシートで囲ってある。今日のイベントの
ためのものだろう。ツツドリがのどかにうたっている。
ここまで風もなく、少しムシムシした天候で暑い。支尾根を少し歩くと水山〜安全山への尾根に合
流する。ここから穴地蔵まで30分と標識にある。 |
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展望台から東の展望 |
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南を望む |
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かわいいドウダンツツジ |
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水山の方へ少し歩くと、「展望所」がある。切り開かれ、五台山を中心にした中央分水
界の山々、弘浪山から篠ヶ峰、残念ながら遠くは霞んでいる。細い木で簡易ベンチもし
つらえてあり、ここでお弁当を食べるのもいいね。
すぐ近くに赤い実をぶら下げたようなドウダンツツジ。やまあそさんと交代で写真を写
す。
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そこに穴地蔵が・・・ |
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お地蔵様を調べるやまあそさん |
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穴地蔵への道は、途中で尾根から離れ、山腹を巻きながら561pの南斜面に続いている。この
道は、昨年穴地蔵を訪れたときに見えた道のようである。
道は支尾根の少しなだらかなところに出る。下枝伐採用にハシゴが残され、焚き火の跡もある。
やまあそさんは、この尾根下ったはずだが、こんな道があったのはわからなかったとしきりに言っ
ている。
道なりに歩くと、穴地蔵が杉木立の中に現れる。
「あそこ、あそこ。」
穴地蔵の大きな岩の前にはお地蔵様が迎えてくれる。井中からの古道にあったものと同じで「幸
助」の名前。ここまで数体しか出会えなかったが、どれも穏やかな顔のお地蔵様だった。
穴の前には、以前はなかった立派な看板が設置されている。標識と同じものだ。やまあそさんは
早速、石碑や穴の中の石仏を調べている。阿弥陀如来だという。私にはさっぱり。昔は詣でる人も
あったようだが、今はあまりないようだ。上新庄や井中から登山道が整備され、これからは訪れる
人が増えるかもしれない。
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安全山は遠い |
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もと来た道を引き返し、安全山へ向かう。まだ遠いなあ。展望所、井中からの道との合流を過ぎ、
次のピークへの登りで振り返ると、双耳峰の水山がこちらを向いている。いいなあ、この風景。水山
の頂上には山名板も三角点も何もないが、なぜかこころに残る。そんな山が一つくらいあってもいい
のではないか。
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振り返ると水山がきれい |
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尾根は歩きやすく、やまあそさんはしきりに「マウンテンバイク、乗れ乗れやぁ。」と叫んでいる。 |
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快適な安全山への道 |
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安全山三角点 |
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440pで小休止。あんなに暑かったのに日が陰ると涼しい。我々はちょうどいい気温だが、やま
あそさんは「寒い!」と言う。
赤松の混じった気持ちのいい尾根、歩行も捗る。思ったより早く到着できそうだ。
452pの手前の鞍部からピークをまく道がある。少し倒木もあるが、標高差50mを登り返すより
は楽だろう。植林の中は道がなくなりつつあるが、自然林にはいい道が続いている。
巻き道は452pと安全山の鞍部に出る。石柱二つと黄色のプラ杭がある。プラ杭には「賀茂」と
記されており、村の境を示すものである。
ここから安全山までは100mほどの登り返し、プラ杭と大柿布が行く手を案内している。ここの
登りは少し急だが、藪のないいい道だ。
昨年、ある地区で穴地蔵から安全山まで歩くイベントがあり、その際に整備されたようだ。
安全山の西のピークから少しだけ下り、登り返すと安全山山頂(537.4m 点名絹山 三等三
角点)。木立に囲まれ、展望はない。山頂から東に少し歩くと、テレビの中継施設が立つ広場に
出る。
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弘浪山 |
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安全山から北の尾根を下る |
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広場からの展望はとてもいいのだが、今日は霞んで全く遠望がきかない。三嶽が何とか確認できる
ほど。
下山の尾根へのとりつきを確認し、お昼ご飯にする。無線機でコールするがだれとも繋がらない。朝
蘇武岳のTQFさんと交信したが、もう下山されたらしい。
やまあそさんは、コーヒーを作った残りのお湯で顔を洗っている。
「いつも洗うんやで。」
私も顔を撫でると、汗が乾いて塩になりざらざらしている。なめると辛い。今日も汗をよくかいたね。
やまあそさんのオカリナを聴き、下山にかかる。
地形図に破線の道が山頂から北に延びている。道はないが黄色のプラ杭に沿って切り開かれてい
る。ここを下れば下りられそうだ。
しばらく急な斜面をイバラに引っかからないように下りると勾配もゆるくなり、植林の尾根になる。西
と東への破線の道も明瞭。穴地蔵から安全山の尾根ほどではないが、なかなかいい尾根だ。倒木や
藪であるきにくいのでは、と予想していたがいい方に予想が外れたのはよかったね。
前をゆく父たぬきが、
「あっ、リス!」
リス見つけの名人である。これまでリスを見つけたのは父たぬきばかり。“丹波のりす”と改名した方
がいいかな。(^^)
やまあそさんがデジカメで撮ろうとかまえている。我々と同じ距離を保ちながら木から木へと飛び回
る。ふっくらとしたリスやったね。
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六地蔵さん |
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尾根が二手に分かれているところは、なるべく車の駐車地に近い方へと進む。藪はほとんどなく、順
調に歩き、安全山から1時間ほどで民家裏に下りる。私と違うところへ下りたやまあそさんと父たぬき
は用水路で遊ぶあひるさんにびっくり。最初はおもちゃかと思ったが、動くので驚いたという。
のどかな集落内を歩いていると、
「あんなところに石仏。」
やまあそさんの指さす方には、草の中にアイリスが供えられた六地蔵が・・・。
「石仏が呼んでるんや。」
車まで歩いているとポツポツと落ち始めた。いいタイミングで下りてきたね。いつもは車で上がる安全
山も歩いて登ると違った趣がある。
石仏にも出会えたし、こんな山歩きもたのしいね。
◇エピローグ
我々が歩いた翌日、安全山の西にある集落に熊が出没。その夕方、賀茂の民家で目撃されたその
熊は安全山山中で射殺されたと報じられる。熊は、我々が歩いているのをどこかで見ていたかもしれ
ない。 |
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