戦国の世に思いを馳せて 黒井城址 |
兵庫丹波 |
たぬきの職場近くに「留堀(とんぼり)城趾」がある。今は保育園や地域のコミュニティセンターが建ち、 往時の面影はないが、その当時の空堀と思われる跡が残存している。 とんぼり城は、黒井城主荻野家の居城だったとする説もある。真相は土に埋もれ知る術もないが、戦国 のロマンを感じさせる。黒井城趾は保月城趾とも単に城山とも呼ばれている。黒井の街を守るようにどっし りとしたその姿は特徴的で、一目で城跡とわかる。 その黒井城址へ、職場の同僚とともに市島町側から登る。黒井城址へは、春日町側の黒井からのコー スが一般的だが、市島側からも登山道が整備されている。市島町戸坂は、176号線東勅使信号を左折、 エルム市島への道を白毫寺方面へ行く。白毫寺手前の集落である。 戸坂の案内板の前で、案内をしてくださるTさん親子と合流。まず、戸坂不動尊に寄ってみる。お不動さ んのそばには滝があるのが常だが、ここにも小さな滝がある。以前来たときには、水がほとんどなかった が、澄んだ水が流れていた。すぐそばのお堂には不動明王と左右に2体の石仏。格子戸越しに覗いてみ る。 |
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さて、いよいよ城山への登山だ。案内板のとおりに山へ入っていく。入ってすぐの所に、山の神様が祀って ある。しばらくヤブっぽい道を歩くと明瞭な道に出る。よく整備された道は歩きやすく、尾根からトラバース気 味の道になると、立派な鉄のはしごが設置してある。Tさんによると、美和スポーツ振興会によるものらしい。 黒井城址から千丈寺山へ歩いたときに鉄の階段があったが、同じ頃につけられたものだろう。 |
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登山口から30分足らずで黒井城址〜千丈寺山の尾根に出る。ここは氷上高校へ下る鞍部だ。ここまで来 たら頂上は近い。少し歩くと展望が開け、千丈寺山の向こうに五大山、その右に五台山が見える。目を西に 転ずれば、先日歩いた権現山から霧山、そして霞んだ篠が峰が確認できる。田植えの終わった田には水が 張られ、陽光が反射して眩しい。 西の丸からいったん下り、急登を登り切ると平坦な黒井城址(猪口山356.8m)にとびでた。 黒井城は、1336年、赤松貞範が築き、16世紀中頃には荻野悪右衛門直正が居城とした。明智光秀の丹 波攻めで落城。 戦国の世、この城でどんな人間模様があったのかそんなことを知るよしもないが、山頂を吹き渡る風は今も 昔も変わらない。すべてを知っているのは往時をしのばせる石垣だけか・・・。 本丸跡で小休止したあと、すぐに下山にかかる。下山は黒井側。下り始めるとすぐに多田への分岐がある。 お正月には、多田の円光寺から元旦登山が行われるらしい。このコースも一度歩いてみたいものだ。また、 黒井城址から北東には、竜ヶ鼻砦、百間馬場と呼ばれるところもあり、こちらも次回はぜひ歩いてみたい。 |
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さて、急な下りをおりると、中腹に石踏の段という平坦な所がある。そこにある赤門は麓からでもよく見える。 赤門の前からつづらおれの道を走るようにおりる。ガサガサという音に振り向くと大きなシマヘビが草の中に 隠れていった。ホッ。 他のメンバーは、東側の道を下りている。登山口で合流し、黒井小学校から氷上高校のそばを歩き、大野 坂に向かう。 |
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大野坂は3度目だが、市島側へ下りるのは初めて。どんな物があるのか楽しみだ。期待通り、少し市島側 へ下りたところにお地蔵様が立っていた。花が飾られ、白毫寺集落の当番の人が毎月お参りに来られるらし い。由来が彫ってあるが、苔むして判別しにくい。それでもよく見てみると、春日町側、市島側の集落が、峠 改修を記念して建立したものらしい。車社会以前は、大野坂が近在の村々にとっていかに重要なものだった かうかがい知れる。 |
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植林の中の道をしばらく歩くと、田んぼ道となる。太陽も天頂に近くなり、気温も上がってきた。案内してい ただいたTさん親子とわかれ、車に戻る。日頃、山歩きなどあまりしない同僚も全員歩き通すことができた。 「よく歩いたね。」 |
行った日 | 03.5.24(土) |
行った人 | Kさん、Mさん、Iさん、Yさん、Tさん親子、たぬき |
山行タイム | 戸坂8:10〜戸坂不動尊8:25〜城山登山口8:45〜 氷上高校分岐9:10〜山頂9:30〜赤門9:50〜 黒井登山口10:03〜大野坂11:00〜戸坂11:30 |
2.5万図 | 黒井 |