但馬への行き帰りには、必ず遠阪峠を通る。今はトンネルを使うと数分で通り過ぎるが、小さい
頃は、ヘアピンカーブの峠を冷や冷やしながら乗せてもらっていたものだ。
峠から粟鹿峰へのアップダウンのある稜線は但馬側を走る度に目に入り、いつかは歩きたいな
と眺めていた。
やまあそ島田さんが行くというので、「私も」と手を挙げる。
わたしの車を下山地の与布土の奥山登山口に置き、島田さんの車で遠阪峠へいく。遠阪〜千
原峠の時と同じ峠の頂上より少し山東町側に駐車し、さあ出発。道の下は、ゴミ、ごみ、gomi。
峠はどうしてどこもこんなに汚いの! 怒りを通り越して悲しくなる。
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国道沿いの木材の伐りだし地 |
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「自転車乗りたーい」(やまあそ) |
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好楽園を過ぎ、あらかじめ島田さんが決めていた木材の切り出し場から登っていく。最近、使わ
れた様子がなく、ナンバープレートのない軽トラが置いてある。広い道を登ると分水界尾根に出る
かと思ったが、上がらず稜線を上に見ながら、谷に沿って傾斜の少ない道を歩く。道沿いに電気の
コードが続いている。こんな細いコードで何をするのかな?こんな細いものでも十分役に立つ、とや
まあそさん。
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分水界尾根めざして・・・見た目より歩きにくい |
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役行者像 |
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道は谷の終点で終わりかなと思いきや、谷の先は突然明るくなり、伐採地が広がっている。
「こんな谷があるなんて・・。」と島田さんと二人でびっくりしゃっくり。島田さんが後日調べたところ
によると“九十九谷”というそうだ。九十九とは、たくさんある様子をいうことだが、谷がたくさんある
からこのような名が付いたのかもしれない。実際、我々が出た谷には支尾根がたくさんあり、谷が
あちこちに分かれている。見渡す限りの伐採地。伐った木が無造作に放置されなければ、桃源郷
といった風情だ。
右を見上げると、分水嶺が・・・。
「この斜面を登るしかないな。」
放置された木に足を取られながらも何とか尾根たどりつく。
放置された木で歩きにくい稜線をしばらく歩き、桧の植林の中を歩く。ピークを一つ越えて二つ目
のピーク。前を行く島田さんが歓声を上げる。熊か猪でも寝ているのかと急いで登ると、少しばか
り広い頂に役行者像が立っている。
「こんなところにあるなんて思わなかった。」
二人とも突然の役行者像の出現にかなりびっくり。でもどうしてこんなところに・・・。今歩いたばか
りの鞍部に山東町への踏み跡があったが、山東町側からの参道があるかもしれない。
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伐採地は桃源郷の雰囲気も |
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伐採地を取り巻くように縁を歩く。伐採地の広場を挟んで北の展望が広がる。ここで一休み。
三岳山、伏見山、居母山、床尾山系と山々のシルエットが美しい。
「いいねえ。」
峠からも、麓のどこからもこんな所があるとは想像もつかなかった。
休憩したところからカラコ山三角点はすぐそば。しかし、枝が張りだし、抜けるのに少し手こず
りながらカラコ山(三等三角点 点名柴 662.5m)に出る。
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北の展望 |
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カラコ山からは、桧の枝が張りだして歩きにくい。植えられてから全く手入れされていない。
何とかCa650mピークに出ると、粟鹿峰がまだ遠くに見える。 |
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第2の伐採地 粟鹿峰はまだ遠い |
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その先にまた伐採地。青垣町今出集落の最奥になるところだ。いったん下ってまた651mピー
クを登り返さなければならない。斜面をうまくトラバースできないかと歩いてみたが、あまりに急斜
面で、尾根にあがることに・・・。しかし、斜面は急だし、トゲトゲの茨に引っかかるわで、登るのも
一苦労。島田さんにもとんだ苦労をかけてしまった。 |
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「こんな急なところ歩けへん」(やまあそ) |
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今出と山東町を結ぶ峠? |
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再び分水嶺にのり、651mピーク南の鞍部に下りたつ。山東町、青垣町今出側ともに踏み跡
らしきものがある。お杉さんが昔越えた峠はここやったのかな?
お腹が空いてきた。この先のピークでお昼にしよう!と言ってもシャリばて寸前で体が重い。
昔の道らしきものもあるが、それより空腹で・・・。Ca690m辺りが展望よく、昼食にはうってつ
けだが、昼食後にまた登るのはしんどいと、その先のCa730mピークでお昼にする。植林の中
で展望もないが、ここから東に延びる尾根は秋に歩くとよさそうである。(この1週間後、やまあ
そさんはこの尾根を歩いている)
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粟鹿峰も近くなってきた |
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大箕山、五台山が見える |
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ここからは歩きやすい。雑木の林、赤松林はこのコース、これまででいちばんいい雰囲気。木の
間から粟鹿峰を見ながら下ると鞍部の左に
「何か、平らで光ってるものがあるよ。」
「あっ!池やん。」
湿地のような所に大小2つの池が確認できる。
「もしかしたら、その季節には珍しい花が咲くかもね。」
左は、すぐそばに稲土からの管理道路。その舗装路を少し歩くと、展望のない展望台。上がって
みるが、ほんとうに展望がない。当勝神社からの登山道もここに出てきている。
尾根を歩く元気もなくなったので、舗装路を歩くが風もなく暑い。だらだらと歩いていくと、すぐ上に
分水界尾根が見える。
低い笹なので再び尾根を歩くことに・・・。はじめは低い笹だが、徐々に深くなってくる。
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突如、池が・・・ 「池ヶたわ」 |
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これが正真正銘の分水嶺 |
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あまり使われていない中継施設への未舗装の道路が尾根の真ん中にあり、そこを歩いていくと、
カヤトの深い藪となる。とにかく中央分水界はここなんだからここを歩かないと、などと言いながら
藪に突入。クマザサの藪を突き進むと、アンテナ施設の石垣に阻まれる。周りを回ってみるが進めそ
うにない。やまあそさんは、軽々と石垣を登れたが、短足たぬきはよじ登ろうとするが登れそうにない。
やまあそさんに引っ張ってもらってようやくクリア。「おおきに」 |
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分水嶺歩きは楽じゃない |
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山頂で歩いてきた稜線を確かめる |
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中継施設の横を歩き、ようやく山頂。飛び出たところは三角点のすぐそばだった。
「誰もいないなぁ。」
やまあそさんは、意外なところから飛び出てきて登山者を驚かしたかったようだ。
山頂に着くとまず景色を見るのだが、今日はそれよりまず休憩。冷えたブドウがおいしい。無線
機からMXFさんと交信している人の声が聞こえる。隠岐移動のMXFさんの声は聞こえない。
人心地ついて、展望は?と見渡すも、西の方は黒い雲。キタテアゲハがゆく夏を惜しむように静
かに羽を休めている。
無線で父たぬきをコールすると、青垣道の駅まで原付バイクで来ているという。下山するむきを
伝え山頂を後にする。
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与布土への分岐から分水界を歩く |
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こちら伐採地も展望抜群 |
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トイレの横から登山道へ入り、与布土へ下りていく。途中の仏岩への道は草が茂り藪状態。この
季節はあまり歩かれていないようだ。粟鹿峰へは与布土からのコースが一般的になっているよう
だ。
与布土への道は途中で分水界とも分かれるが、そのまま尾根を下る。鹿除けネットを右に見なが
ら笹藪の中を突進。ここを登ったときはしんどかったが下りは楽々。
見覚えのある伐採地からは、お杉地蔵さんから延びる尾根が粟鹿峰に続いている。南には、三国
岳、千ヶ峰。
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お杉さんも通ったかな?(けえ坂) |
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林道工事が・・・ |
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植林の尾根から680mピークをくだると鞍部。ここは「けえ坂」という峠らしい。以前、大稗からお杉
地蔵さんを通りこの峠から粟鹿峰まで歩いたが、そのときと峠の雰囲気はほとんど変わっていない。
峠から与布土への道を下る。杉の植林のなかをつづらおれに下る。ヒルがいるかも、ということばに
足は自ずと速まる。走るように下りると明るい空間が見える。なんと林道工事で木が伐られ、680m
ピークの麓を巻くように続いている。
崩れかけて、大きな土嚢で補修してある。昔の峠道は跡形もない。
ヒルの攻撃にも遭わず、無事奥山登山口到着。粟鹿峰から流れる水に手を入れると、ひんやりと気
持ちがよい。
今回もなかなか楽しい山歩きでした。やまあそさん、お世話になりました。
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奥山登山口 |
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追記(04 10/2)
分水嶺が稲土からの管理道路に出会うところに池がありましたが、「池ヶたわ」と呼ばれるところだそう
です。昔は山東町と稲土を結ぶ峠のような所だったそうです。当勝神社からの登山道がこのあたりに出
てきていることを考えれば当然かもしれません。
大昔の噴火の跡との言い伝えもあるそうですが、定かではありません。
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