中央分水界の径 五台山〜石生城山を歩く
兵庫 丹波


五大山から五台山(左)・鷹取山(手前右)を望む


  たぬき家の近くに、日本でいちばん低い中央分水界が通っている。中央分水界は、多紀連山から向山連山、そして高谷川右岸を通
り、再び山へと向かう。石生城山から五台山にかけての稜線はまさにその中央分水界である。これまで何回かに分けてそれらを歩い
てはいるが、1日で歩き通したいという思いをずっと持っていた。最近、この長大な縦走コースが氷上高年低山会のみなさんによって「
分水界の径」として整備されつつあり、道標も設置されているという。

《五台山へ》
 五台山から城山の縦走は、ざっと見積もって8時間ほど。天気予報によると、夕方から雨になるという。天気を案じながら、6時半、香
良岩瀧寺から登り始める。岩瀧寺のもみじも紅葉し始め、青空の下ならさぞ美しいだろう。滝からお不動尊。そして藤の目渓谷と歩き慣
れた道だ。丸太の橋が架け替えられている。そういえば、登山道整備の日役があり、山頂まで草刈り機を持って上がって草刈り作業を
したと弟が話していたなぁ。気温は7℃ほどか。さほど寒さを感じない。それどころか、だるま岩のあたりまで来ると汗が噴き出してきた。
杉が大きくなり暗い林だったが、最近、間伐されたのか以前より明るくなっている。小峠から尾根までの急登を喘ぎながらゆっくり登って
いく。今日の行程を考えると、力を残しておかねば・・。小野寺山との鞍部に着くと風があり汗をかいた体に涼しい。

 五台山山頂(654.6m)にはおよそ1時間で到着。まだ明け切らない空の下、薄い霧が衣のように浮いている。その上にも霧。二層の
ベールが幻想的だ。北西にくっきりと粟鹿峰。その左に氷ノ山。北には雲海の上に三岳山、大江山。南には、これから歩く中央分水界尾
根。氷上盆地は霧のベールの下。西の千ヶ峰は雲をかぶっている。晴れではないが、けっこう遠望がきく。もっと展望を楽しみたいところ
だが今日はここが縦走の出発点、さあ、先を急ごう!


五台山から氷上町中心部(南西方面)を望む(中央は弘浪山、右手前は安全山)

《小野寺山へ》
 次のピークは小野寺山(645m)。ここも展望がいい。親不知がグンと近くなる。少し陽が差してきたが、西の空は雲が多い。天気は持
つだろうか。南にキュッと尖った鷹取山が待っている。小野寺山南斜面の急な下りをゆっくり下りる。ベル山岳会の赤と黄色のテープ、ピ
ンクのリボンが行く手を案内してくれる。
 
小野寺山から望む親不知 鷹取山頂上

《鷹取山へ》
  本日最初の急登、鷹取山にとりつく。以前と同じ布製の縄が垂らしてある。何となく切れそうで危ういので、少しだけ体重を預けストッ
クを短めにして登っていく。小野寺山から35分で鷹取山頂上(566.4m)到着。木で覆われていた山頂は、市島町美和地区側がきれ
いに伐採され、ベンチと展望図が設置されてずいぶん様変わりしている。しかし、その分、東側は展望抜群。青葉山、弥仙山がはっきり
と見える。長老ヶ岳は意外に近い。比良の山並みも見えているはず。竹田川沿いは、まだ霧が少しだけ残っている。ベンチでメロンパン
を食べながらしばし展望を楽しむ。
鷹取山から南東方面を望む

《愛宕山へ》
  鷹取山を慎重に下り、美和峠をめざす。先を行く父たぬきが「ええー。」と大きな声を上げる。何かな?と追いつくと、峠の手前に山頂と
同じベンチが置いてある。きっと、エルムからの急な道を登ってきた人に、ここでお休みください、と置かれたものだろう。
 美和峠には以前よりたくさんの案内板がある。その中でいちばん新しいものは氷上高年低山会の人たちによるものだ。西は香良不動
さん、東はエルムいちじまへ続いている。ただ、香良側は不明瞭なところがあるので下山注意である。山道ではあるが、県道なので町名
を示す立派な看板が立っている。
 美和峠から比較的平坦な尾根道をさらに南へ歩く。黄色く色づいた木々が朝の光に輝いている。とても静かだ。丹波の山の匂いを胸一
杯に吸い込みながら歩く。
美和峠の道標 愛宕山北面の急登


  烏帽子山への分岐を過ぎ、少し下ると本日2番目の難所愛宕山の登りだ。以前はなかったトラロープが設置され、それを頼りによじ登
る。トラロープがあっても注意深く登らないと危険だ。先にお堂裏に上がった父たぬきの声が聞こえる。急いで登るとブルーシートのテント
が張ってあり若者が3人作業準備中。尋ねると市島町森林組合の人たちだった。そういえば、周辺の下刈りがされていて切られた木が
寄せてある。山の中でのしんどい仕事にこんな若者が携わっているとは・・・。とても爽やかな青年たちで、仕事を楽しんでいるという印象
さえ受けた。ザックに入っていたチョコを渡して別れる。

木が切られ広々とした愛宕山お堂前広場 愛宕山南斜面から南の縦走路


 木が伐採され、愛宕山山頂(570m)のお堂前広場は以前より明るく広々としている。ノートに記帳し愛宕神社にお参りして五大山をめ
ざす。京愛宕山遙拝所をすこし下り、山頂を右に巻く道は伐採された木が覆っていてわかりにくい。紫のPPロープが目印なのでそれを捜
して巻き道を歩く。貴公子さん誕生日オフの時、雪にまみれながら歩いた道だ。巻き道の途中に展望のいい岩場がある。南を見るとこれ
から歩く山々が続いている。終点までは遠いなあ。
 愛宕山南斜面も木が切られ、以前は枝や木を頼りにして下りたが、持つものがないので滑らないよう慎重に歩を進める。

弘浪山(左手前)篠ヶ峰(左)千ヶ峰(真ん中奥)竜ヶ岳(右) 冬を待つ五大山のヒカゲツツジ


《五大山へ》
 愛宕山と五大山鞍部の鉄塔から五大山へはほんのわずかな距離だが、ヒカゲツツジの群生するところ。ヒカゲツツジは残して刈っ
てあったのでホッと胸をなでおろす。
 10時20分五大山頂上(569.2m)到着。歩き始めてから4時間かぁ。山頂は360度の展望。青空が出てきた。天気は下り坂とい
うことだが今のところその気配はない。北西遙か遠くに氷ノ山のような形の山が見える。帰って確認してみるとその可能性が高い。お
茶とおやつを食べ再び歩き始める。ドウダンツツジの葉が紅い。
 
 
五大山から望む青葉山(左双耳峰)弥仙山(右の尖峰)

《三日月山へ》
 五大山の次のピークは三日月山(541m)。この山名は氷上高年低山会が道標整備に際し調べられたものである。平坦な山頂で、
分水界コースと黒井城趾への分岐点である。ここから黒井方面への道は明瞭で由良坂方面への道がわかりにくかったが、道標が整
備され迷うことなく分水界コースへ進むことができた。由良坂までは少し急な下りだが、赤松の静かな丹波らしい林だ。
 これまでは、由良坂手前のピークから尾根を由良坂まで下りていたが、分水界の径はこのピークから巡視路を歩き、108鉄塔近くま
で行く。そこから山腹を歩き坂に下りたつようになっている。その途中に切り開きがあり、西の氷上町側が展望できる。北から鉄塔を頭
に乗せた岩屋山、水山、テレビ塔の安全山、兵庫ふるさと50山の竜ヶ岳、テレビ塔がたくさん立つ篠ヶ峰。

鉄塔108南の切り開きから望む

《亀の座へ》
 巡視路を歩くと由良坂はすぐ。植林の中の暗い由良坂から再びプラ階段の巡視路を登っていく。少し山腹を歩き尾根に出る。広い巡視
路を歩くと亀の座(318.4m)。前回歩いたときは三角点が登山道から少し離れているので見過ごすところだったが、標識が設置されわ
かりやすくなっている。亀の座は別名「五郎兵衛」。氷上町南油良での呼び名でこの山の持ち主の名前であったのではないかという。
 亀の座周辺の尾根道には、電線を張ったと思われる碍子付きの鉄の棒が残っている。いったい何のために?この疑問はまだ解決して
いない。


亀の座(318m) 亀の座から南への道(巡視路)

《天王坂へ》
 11時50分、106鉄塔に出る。陽ざしが暑い。ここでお昼にしよう。秋の忘れ物、赤とんぼがやってくる。天気が急変のするのか風が出
てきた。早々に昼食をすませ、次のポイントの天王坂をめざす。

 天王坂に出ると数台の軽トラが停まっている。「猟師さんの車?」と思いきや、氷上高年低山会の皆さんのものだった。今日はここから南
を整備されているようだ。道路を横切り道標に従って再び山へ入る。つい今し方作られたのか、斜面に段ができている。我々が最初の利
用者のようだ。踏み固めながらゆっくりと跡をたどっていく。まだ土が濡れているので、整備されてからそれほど時間は経っていないだろう。
「これはお昼からのお仕事やね。」

天王坂 市部坂

《権現山へ》
 急斜面を登りつめると何枚かの上着が置いてある。霧山分岐の少し北で、作業を終えて戻ってこられた低山会のみなさんに出会う。最
後尾に近所のSさんがおられ、しばらく話をして別れる。霧山と権現山までを整備し引き返して来られたという。おかげで我々はスムーズ
に歩くことができる。標識や登山道整備がされたので、今後、このコースを歩く人が増えるのではないだろうか。
 霧山への分岐を過ぎしばらく歩くと、「本天王坂」と書かれた道標が現れる。「?」 天王坂はさきほど越えてきたが、これはいったい?
 昔は市辺から天王の船城神社へ牛を連れてお参りに行っていたらしい。本天王坂というのは車道の天王坂と区別するために今回名付
けられたそうだが、「てんのうざか」と呼んでほしいと言われていた。つまり、船城神社へ通ずる峠道は、どれも天王坂と呼ばれていたの
ではないかということだ。
 
 鹿除けネットの左側の下草が刈られ、歩きやすくなっている。これも低山会の皆さんの今日のお仕事。以前は藪だったのでネットの反
対側を歩いていた。おかげで市部(いちぶ)坂まで藪こぎせずに下りることができた。ここを西に下りると市辺、東は春日町野山の観音堂
だ。 

 市部坂から権現山北の反射板ピークまできつい登り返しが待っている。五台山、鷹取山、愛宕山、五大山、三日月山、亀の座などたく
さんのピークを登ってきたが、ここを登ればあとはそれほど急な登りはない。
 急登を覚悟したがしんどいこともなく、15分で反射板ピーク(349m)にたどり着く。このピークから東に延びる尾根の先には「野山砦跡
」があると道標に示してある。反射板から北へ向かうとき、方向を間違い砦方面へ歩きかけたことがあったが、細い踏跡があったことを思
い出した。

権現山 権現山から縦走路の南端を望む

 反射板から権現山に向かう。登山道は鞍部から西に下り、氷上町側山腹を巻きながら大崎坂へ下りるが、久しぶりに権現山へ行ってみ
る。といっても反射板から権現山は5分ほどの距離。
 権現山には愛宕さんが祀られ、大崎集落の人々がお参りをされているようだ。広場の南東に大崎へ下りる参道がある。広場の南の大き
な岩に上がると展望が開け、大崎坂から石生城山までが一望できる。いよいよ縦走コースのクライマックスだ。


 鞍部の分岐に戻り、狭い急坂を滑らないよう慎重に下る。いつも登りに使っているこの道も下ればすぐ。5分で大崎坂に着く。右に下りれ
ば市辺、左は大崎。

石生城山(ガンジュウジ城趾) 城山から向山連山を望む

《石生城山へ》
  大崎坂からはアップダウンの少ない下り基調の道。息子がマウンテンバイクの練習をしていた道だ。進学で家を離れる息子を誘って歩い
たことを思い出す。
 元気なときはそれほど高低差を感じないのだが、7時間以上歩いてきた身には少しの登りでもこたえる。
「ここ、こんな登りあったかなあ?」
 鉄塔から横田山古墳を通り、NHKの中継施設をすぎ、少し下ると掘り割りのようなカンジョウ坂に出る。西は氷上町横田、東は石生大谷
池。横田方面には明瞭な道があるそうだ。大谷池への道は、以前は道が不明瞭だったが、最近整備され歩きやすくなっているとのことだ。

  カンジョウ坂から城山まではひと登り。最後のピーク石生城山山頂(198m)に出る。ここはカンジウジ山城趾とも呼ばれ、360度遮るも
のがないので戦国時代は要地であったろうと想像できる。北に連なる三日月山、愛宕山を振り返る。今日歩いた山々だ。
「よう歩いたなあ・・。」 ぐっとこみ上げるものが・・・。
新しい木のベンチに座り最後の休憩をとる。福知山線を挟んで向山連山が紅葉し始めている。ふと目を下にやると、我が家の田にトラクタ
ーが動いていて義父が田の縁を鋤いている。しばらくするとトラクターを後ろ向きにし、バックで田んぼから道に上がろうとしている。不安定
な斜面を何度も切り返してやっと農道に上がることができた。やれやれよかった。
  雲行きが怪しくなってきた。早々に下りよう。すぐ下の東小学校から少年野球の元気な声が聞こえてくる。まるで我々を励ましているよう
だ。鯉寄坂(こよりざか)のお地蔵様に無事歩き通せたことのお礼を言い、大師堂にもお参りする。登りはじめてから8時間半、ようやく終点
石生信号におりたつ。
  国道に出たとたん、我々の下山を待っていたように大粒の雨が頬に当たった。
「ええまんやったなぁ。」(丹波弁で、「よい間に下りてこられたな」) 
 東小に置いた車で香良岩瀧寺まで戻る。分水界の山々は雨に煙りはじめていた。


過去の記録がこちらにあります。
丹波超低山その1 中央分水界の山 城山
中央分水界を歩く 野山〜亀座〜由良坂
五台山〜五大山〜大野坂
雪にまみれて 愛宕山から五大山


 ○標高その他資料は、氷上町高年低山会より提供いただきました。
 ○登山道は、五台山よりさらに北のクロイシ山(555.9m 点名 曼田良)まで整備され、標識も設置されています。
 ○美和峠から香良側に下りる道は以前は不明瞭でしたが、低山会によって最近(04 1月)整備されました。



行った日 03 11/15(土)
行った人 たぬき二人
山行タイム 香良岩瀧寺(がんりゅうじ)6:30〜五台山7:40−7:55〜鷹取山8:40ー8:55
〜美和峠9:05〜愛宕山9:45−10:00〜五大山10:20ー10:30
〜三日月山10:45〜由良坂11:30〜亀の座11:45〜106鉄塔11:50ー12:10
〜天王坂12:35〜霧山分岐13:05〜市部坂13:30〜反射板13:45〜権現山
13:50ー14:00〜大崎坂14:05〜横田古墳14:20〜石生城山14:40ー14:55
〜石生信号15:10
2.5万図 黒井・柏原